卒FITという言葉と行動

 卒という言葉は卒スで、亡くなる・死ぬこと、学校などを卒業すること。さて、アルファベットでFITとは英英辞書でみても多くの意味がある。今月、令和5年1月の24日に我が家でもとうとう卒FITを迎えるのだ。それは嬉しいか悲しいか、どちら側の情緒で表現できるのか、それとも全く関係ない事象で情緒なんてでは表せないとも言い切れないのである。正直言って十年もの間お世話になった事は間違いなく、本当に感謝しなければならない。わが家のデシジョンとして、オール電化にした。オール電化とはガスの供給も絶ち、事実、契約上ガス会社のメータを外す必要があり、安い夜間電力でヒートポンプを稼働し、お湯をドラム缶一杯分位を沸かし、普段の調理はIH加熱方式で行うのです。そんな時期に照明器具も全てLED 電球とした。 FIT(Feed-in-tariff)とは固定価格買取制度の事でソーラー発電を始め、再生可能エネルギーを10年間固定価格で買い取ってくれる制度の事です。これが終了することを卒FITと言うのです。
 例えば学校を卒業すると、次に新たに何をしたいのか、何をするのかが関心事となる様に、卒FITでも次の手立てをよく考えなければならないのです。よく、キーワードとして目につくことは10年間高値で、例えば42円/kwhで、送電グリッド網の管理電力会社が買い取ってくれてた発電電力をどこかへ安値(x円)で売り渡さざるを得ない状況なのか、自前で蓄電池システム(大容量の蓄電池抱える電気自動車などを含む)を高額で投資せざるを得ない状況(百万円以上、EV車ならそれ以上、若干の公的助成金もあるが)の選択を迫られている。私も1年前頃から、新興蓄電池システムを開発提供している企業の資料を読み始め、昨年の夏ごろから来る卒FITに対して良い案はないかと力を入れて調査を開始した。比較的直ぐに、私にとって、魅力的なシステムが提案されている事を知った。ここでは具体的なサービス名を書くと特定企業のものと判明するので、一般的な説明とする。それは、自前で蓄電池システムを持たないバーチャルシステムで、ソーラーの発電量と昼夜でソーラー発電量が自分の家の消費量を賄えない時に、grid網から電力を市場価格で買わなければならないのであるが、それをスマートメータで相殺してくれるという物である。普通家庭のソーラー発電では、電力の消費量>ソーラー発電量なので、一般家庭にとって莫大な金額を投資せずに済み、相殺された使用した分だけ電気料金を支払えば十分なのである。
  一見どこにメリットがあるのだろうかと迷うが、現在電気代は1kwhで30円以上で、買取価格8-10円よりもはるかに高いのである。ここで少し概算計算をしてみるが、10年前の購入電気代はわが家の実際値で1kwh当たり20円を下回っていた時期もあり、そのころの余剰買取価格が8-10円という数字でも、そう違和感はなかった。といいうのは、天然ガスを自前で採掘できる国の電力代金は七円レベルで、それでも少しは利益を出せると言われていた。それ以前では原子力発電によるコストは4円レベルとも言われていた。<2011年の東日本大震災での福島原発事故で廃炉処理を含めたリアルな発電コストは4円ではとても済まない事が判明> 2022年末の時点での対ドル、円安130-150円、化石燃料コストの爆発的増加、諸々の諸経費のインフレ率の想定以上の高騰などの要因で2023年半ばに更なる価格上昇も予定されており、今の30円/kwhを上回る電力価格のポテンシャルを相殺できるのである。そんなチャンスを8-10円で売り渡し、更に蓄電池システムという決して元が取れない投資には、私はgoを出せなかった。
 課題はなぜ国を始めとする行政機関が卒FITで助成金まで付与して、蓄電池システム導入を進めているのかというと、災害時停電というグリッド網からの電力供給がオフ状態になってもソーラー発電と蓄電しシステムで自律的に出来るだけ長く息絶えずにいて欲しいが為と季節的に訪れる電力逼迫時の負荷軽減である/これは最近わが家にリフォームで出入りしている企業の本音の話である。
 かくして、卒FITの次に、特に我が国日本は家の断熱化(冷暖房に有効)、省エネ化をあらゆる面で進めるということにつきると思います。

そこでわが家の最新ソーラー発電と電力消費動向について説明します。令和5年5月2日は発電総量は31.4kwh (朝6時の0.1kwhから夕方17時の0.1kwhまで)、消費総量は22.2kwh (これはガス無しのオール電化です)。消費電力パターンは図の通り、早朝にやや高まっているのはヒートポンプ式のエコキュート温水貯蔵でドラム缶一杯ぐらいですかね、その前少しベースラインが増えているのは家人が夜更かしで風呂の沸かし直しや3台のTVを見たりしていた。朝の食事の用意はゆっくりとして、夕方からの諸受持の準備でピークに見えるのと明らかに違います。季節柄、エヤコンの使用がなく昼間はこんなに低レベルです。家の広さはかなり広く、大手住宅メーカの180平米(総2階)で熱遮断性については建築当初のままですが、リフォームで2か所窓を塞ぎました。

闇と光汚染

 昨年末、お付き合いのある企業様から所謂翌年の新年のご挨拶の品を頂いた。翌日、その頂いた手作り写真カレンダーを開くと、名刺大のカードが挟んであり、2023年/先を見る との表書き、裏には一寸先は闇か光明か と添えてあり、その裏の添え書の方がレコードのA面のように聴こえたのである。
 これまで、私が漢字文化で一応育った60余年の間、字の構成としてはある時、気が付いていたのは間違いないことであろうが、きちんと意識して、門構えのなかに音という文字が挟まれていて、それをヤミとして自分自身に受け入れていたのか少々怪しくなった。なぜなのか、漢字の古典として、部首等の組合せで新たな文字を生み出していく、今流のイノベーションが普通に行われるのが象形文字である漢字文化の骨格である。なぜ、門構えに音で、音とは一見関係なさそうなヤミを意味させるのであろうか?
 全くの個人的経験であるが、信貴山の朝護孫子寺に行くとお堂の地下に造られた空間をわざわざお金を払ってまでして、そのヤミを体験(戒壇巡り)したことがあった。そこは本当に全く光明のない真っ暗な空間で、壁つたいに人は歩く事しか出来ない。指先の触覚(感覚)が頼りである。しかし、暗くても、人が2人居て、声だけが2人を結びつけられる事も出来るのである。闇というのはこういう感覚的に分類出来ることばで、物理的意味も持っている。

さて、もう一つの光明であるが、次の2010年6月のマイブログで2009年に話題として取り上げた光汚染について書き残してあった。

追記 *1、*2
  昨年2009年の前半に、海外の雑誌に掲載されていた環境問題。これまで、環境問題の中で汚染物質排出はフロンガス、二酸化炭素ガスや 有害金属、有害有機物質、炭素微粒子、石綿などが取り上げられ、指摘されていたが、 ある海外雑誌では、light pollution を取り上げていた。
 過剰過ぎる夜の照明。これは安全な night life や 夜間屋外活動(スポーツ、イベント、 何もプロだけでなく一般の人が夜間帯に行うものが非常に多い)を拡大してきた。夜間が明るくなると、人の生理的営みが神経的にも阻害されてくるそうだ。 人だけでなく、人工の光が与える動物への影響もあるという。
  *1半導体の1種であるLED照明が開発されて、エネルギー効率が従来の白熱灯に比べて約3分の1と非常に小さくなったことは良いのだが、装置のコストも低減されて、従来と同じエネルギーをと投入すると光る光束の量は3倍になり、夜空が更に明るく輝いてしまう光汚染(公害)となってしまっているのだ。
 400年前のガリレオが初めて手製の望遠鏡で見た星は今や都会では決して見れないとうノスタルジー的文章からその海外雑誌は始まっているが、一度エコ、省エネの観点だけでなく、夜間照明の在り方も検討課題の一つとして入れたい。光で汚染と言われると、いい気分がしない。せいぜい、キャンプの焚火の明るさで済ませる生活がいいのだろうか。現代人類の生活がここまで来てしまってると後戻りは出来ない。
 米国NASA提供が提供している夜間衛星写真(添付URL)は、おそらく想像以上に地球規模で夜の世界の営みが奥地まで進んでいる事を物語っている。
http://apod.nasa.gov/apod/ap001127.html
このサイトの中央にある写真をクリックすると詳細な夜間の光の分布を見ることが出きる。
 この写真を見て、何を想像してしまうか。想像力の豊かな人ほど悲観的になってしまうかもしれない。今や、全世界にくまなく広まっている、電気供給網(グリッド)が出来上がっていることは、エジソンの時代の電球の発明から100数十年という長い時間が見える。この光の分布を見ていると、地球上のちっぽけな狭い日本だけでエコ、グリーン運動を血眼に行っても、本音のところ効果がなさそうに思える。グローバルな取り組みが是非必要であろう。

 地球上にいて、今でもかなりの奥地へ行くと、そこの夜は闇夜でなく、天を見上げると満天の星と天の川で一杯である。その様子を高感度映像でどこかのTV番組が流していた。それは、人工の照明がないからこそある、ありのままの世界であって、古の人は、現代の宇宙へ上がってしまった衛星からではなく、地上から宇宙の地図の光のグリッドを見て、想像を広げ、神話などを語っていたのであろう。その高感度TV放映像の中を、素早く右から左方向動き、消え去った強い光があった。やはり、人の仕業の”未確認飛行物体”が夜間でも蠢いている証であった。*2私自身の体験でも1980年代の後半の米国東岸部のノースカロライナ州の田舎の夜空は、まだこのような「闇夜」であった。

New Header Photo updated

This header photo was taken by myself, when I have participated 2014 Photonics West at SF, CA. After completion of conference, I took my favorite bay cruise and got to shot the eight slopes in town of SF from bay side.

サブタイトル:さがしもの

 目が疲れた、指先も疲れたなという声にもならない終わりだった。それはある日の夕方のことで、今は4-5時間経って、あるTV番組を見終わって、70歳になった歌手の人生みたいな内容で、以前呟いた小椋佳さんが苦労して歌詞を考案する方法とは違ったやり方で歌詞を紡ぎ、作曲もする方のやはり苦労話に気が行ってしまったのである。その歌手は10代半ばで上京し、挫折の度に長崎という自分の故郷へ逃げ帰ったそうだ。私など、工場勤めの父の会社の横浜にあった社宅に生まれてから6年間、その後神奈川県の近郊に引っ越しそこに12年、東京の大学に入って大学近在で2か所下宿を変え、そのまま結婚したので棲みかも都内で、帰る故郷と言える町などはないなと、横道にそれた想いになった。
 何故そんなに疲れたのかという理由についてお話するのが本流である。サラリーマンを早期に辞め自営業になって、早17年を過ぎようとしている。それからブログを書き始めて、そのブログのトップページの写真を変えようと決めて、そうだ2016年に海外出張へ行って報告書を書いた資料のトップページで使ったある写真を探しはじめていたのである。結果を先に言うと、さがしものの写真は見つかったのであるが、そのプロセスは壮大で、デジカメ写真の画像を何枚、いや1000枚以上になったかもしれないのであった。
 探そうとしている写真はサンフランシスコSFの急坂の道で、それもbay側から見たもので、近くの港から出船する好きなクルージングの船から眺めたものである。SFには米国系外資企業のサラリーマン時代から毎年訪れていて、自営のコンサルタントになっても、顔を出すカンファレンスの種別は若干変わっても2005年から2016年まではSFを訪れていた。毎年必ずクルージングの船に乗ったわけはないが、時間があると、ナパバレーのワイナリーツアーかこのSFの急坂が平行に8本も並んで見えるクルージングに出かけていたのだ。始めの頃はただSFには急坂が多く、サラリーマンがスケボーを蹴ってオフィスに行く様子などがフィーチャーされていた。自分でも、クルージングで始めから8本もの急坂が綺麗に平行に並んで存在し、それをフレームに収められるとは想ってもいなかった。実際、4本だけ急坂が並んでいて、その4本の組み合わせも撮った写真によりまちまちであった。
 最初の早とちりは、2016年のカンファレンス報告書だったので、2016年のデジカメフォルダーを見分したのだが、見当たらなかったのである。そこで、過去の年度のフォルダーも探したのだが、見当たらなかったのである。そうだ、その頃はデジカメの性能が急速に向上し、機種も一番古かった国産のN社のものからS社の機種へ、更にS社の機種で安価で使いやすいレンズ系のF値がやや大きい自分でS500と呼んでいる3台をある時期混在して使っていたことを思い出した。現在はS500を自分で、Sは家内が使っている事にはなっているが、皆さんと同じように、性能が格段と良いスマートフォンのカメラ機能に頼っている。

そんなこんなで、結局2014年のフォルダーにそのものは鎮座していたのである。何年にも渡りSFの急坂に向けてシャッターが押されていたが、8本も綺麗に並んで撮れていたのは実は1枚で、4本であったり、bayクルージングは私が個人的に興味を持っている8本の坂のことなどお構いなしに、都合の良い所でゆっくりと進んでくれることもなく、陸からの距離も私の頭の中のベストショットのポジホンに関係なく、行きかっていたので、ただボーッと遠目に丘が見えるだけだった。
  偶には私のとりとめのない、ストーリーのない独り言に、お付き合い頂いたことに、有難うと申し上げたい。SFはこの8本の急坂が仕事上での私の故郷と主張しているのかなと想った。

令和5年2月記す

私の澁澤榮一氏

普通、著名人の名は知っていても、何かの事情がない限りその方の人となりに深く立ち入ろうとはしない。私も東京北区に住み始めて40数年、今年67になる。北区では澁澤榮一氏が一万円札の肖像画に選ばれたとか、NHKの大河ドラマ番組の主人公に選ばれたとかで、盛り上がっている。私は澁澤氏の名は知っていたが、深く立ち入ろうとしたのは約10年前のことである。そのことをマイブログに書き残しておいたのを思い出した。その後、地元の先輩に誘われ、深谷の澁澤榮一の実家見学まで出来た運を得た。


2010年11月15日記す。Bank (ブログの題目)

この英語は、我々は今では“銀行”という言葉で受け入れ、金融機関の主役を演じていることは誰でもが知っている。

先日、早稲田穴八幡神社で、毎年開催されている古本市で買い求めた一冊の古書、幸田露伴著、澁澤榮一傳(昭和十四年六月十日初版発行、岩波書店)を、昨日目を通していた。購入して直ぐ、全頁は読まずに、ページを捲って部分的にどのような澁澤榮一が描かれているのかと探ろうとはしておいた。

昨日の朝、NHKの番組紹介で、12月に入って再開する坂上の雲の第2弾の紹介をしていて、ちょうどテーブルの上にあった、少し時代は早いが活躍したこの澁澤榮一傳のページを捲った。ページを進めると、第一国立銀行をひきいた澁澤が明治初めに、bankという英語に和訳の“銀行”を授けたと説明している所に出会った。以下その下りを私が現代的に示したものである。

銀は銀(シルバー)だけを意味せず、金銀の兌換性を言い、行(注)は鋪、業、糸屋・米屋・石屋の様に使われている屋の意味を持たせてあるという。鋪は店舗、業は広く使われ、商業というある程度大規模な経済活動をしているもの、xx屋は中小企業の商いから物作り工房などの意もあると思う。

注:行は元人の百二十行、明人の三百六十行の行の如くと書中で引用されている。調べたところ、元人の百二十行は不詳だが、明人の三百六十行は蘇州版画で蘇州の繁栄を象徴する商店や運河のにぎやかな光景を描いており、それを引用したものと推察される。神奈川大学の非文字研究サイトに出ています。

http://www.himoji.jp/

http://www.himoji.jp/jp/publication/pdf/nenpo/No03/097-111.pdf

これらの漢字の組み合わせを変えると、金行、金鋪、金業、金屋、銀鋪、銀業、銀屋などが出来るが、やはり“銀行”が澁澤にはぴったりだったのだろう。

さて、本来の銀行の役割は蘇州版画三百六十行図にあるように、繁栄を象徴する商店や運河のにぎやかな光景をいつまでも作り出したり、継続したりすることであって欲しいと思う。いたずらに、マネーゲームを先導したり、金融経済政策として管理、制御する側に立ち過ぎないで欲しいとも願う。

地元北区に、澁澤榮一資料館もあり、明治以降に三菱をまとめ上げた岩崎弥太郎に視線が行ってしまうが、関東の澁澤榮一にも目を向けて欲しい。

詳しくは、澁澤榮一資料館サイトを参照して下さい。

かくして、Bankに象徴されるように、明治時代に入ってからの澁澤氏の活躍貢献(多くの銀行、株式会社設立や事業支援、慈善団体の設立・支援)が評価されているようだ。

が、しかし、私は、江戸幕府の大政奉還から明治維新時の国難の際に、澁澤氏は日本におらず欧州に居て、水戸藩の徳川昭武(御年十五歳)の巴里万博視察団随行員団の端くれとして働き、万博後留学中の水戸藩の徳川昭武を帰国させるべきか、万が一欧州滞留が長引くかも知れぬと、会計係として不足していた資金の工面、質素な生活、さらに今でいう保険や有価証券投資(数年は日本へ帰還出来ない事を想定)をして、借金返済や少しの蓄財までした能力(榮一は欧州の経験豊富な経済・金融界の知古より仕組みを学んだ)に注目して頂きたいし、チャレンジ精神を評価して欲しいのである。

澁澤氏は昭和六年九十二才で旅立たれたが、明治維新の時は若干二十七才であった。今の時代で、若輩の二十七才でこれだけの使命を受け、そして主君を守り、欧州の経済的仕組みを理解し、習得し得た成果を開花させ熟成出来るだろうかと考え込んでしまった。

とけい(土圭)2

現代人には、頭の中には概念として、旧暦(太陰暦)と今我々がお世話になっている新暦・太陽暦があることを知っている。しかし、人が年間の四季を通じて、肌身で感じる日常の生活では、12か月制の太陽暦と季節感や二十四節気との間に、実は乖離があることを感じている。

先日知り合いが、twitterで日の出から日の入りまでの時間帯を6等分する不定時法について呟かれていて、昼の八つ時に間食をしたのが“おやつ”の語源だと教えてくれた。 ちょっと横道に逸れた8年近く前の“おやつ“のお話。

マイブログ 投稿日: 2012/10/20 題目;お八つ   平成24年10月16日の知り合いのSさんのtweet。 「六つ」というと午前の6時ころか、18時ころかが分からないので、午前は「明け六つ」で、午後は「暮れ六つ」と言った。室町ころから日の出から日の入りを6等分する不定時法が定着した。ひるの「八つ」はだいたい14時ころで、その頃間食をしたので「おやつ」というのだそうだ。 今風にいうと“おやつ”は大体午後3時ごろに、腹が減って来た頃に口にする、お菓子みたいな食べ物のこと。 横浜生まれで、その後神奈川県の中部、茅ケ崎で育った私の記憶では、友人の実家(大農家)ではおやつを“おこじゅ“と呼んでいた。それはネットなどがない昭和40年前後の頃の話。今、ネットを紐解くと、”おこじゅー“は神奈川や多摩地域の”おやつ“のことの方言と説明されている。 さて、知り合いのtweetでは旧暦の時間の分割の仕方が西洋風とは異なり、日本では不定時方法によると、昼の八つは今の午後2時ごろになるそうだが、今は定時の午後3時ごろに口にするちょっとした食べ物が“おやつ”になってしまっている。 さらに続けると、今我々は1日に三食食事を取っているが、その昔は日本も西洋も朝、夕の二食だったと聞いている。そんなことで、身体を使う仕事をしている人が殆んどだった昔はちょうど腹が減る頃に何かを食したいことになる。所謂、おやつ・間食で、恐らくそれが昼食(ランチ)となり、三食制へと変わっていたのではないかと推測出来るのである。 現代人は、朝、昼、晩と三食も食らう人種となってしまっても、さらにおやつと称して午後3時ごろ何かお菓子みたいなものをしっかり食べるようになってしまっている。昼食を食べることが本来の“おやつ“とするとそれで十分なはずである。

そんなきっかけで、毎度の通り部屋の隅に積み上げてある古本の中に、確か古い時刻制度のことを書いたものがあるはずだと探し出した。それは、“日本の時刻制度”橋本万平著(塙書房;昭和41年9月20日発行)である。

地軸が傾いているので、地球上の何処に住んでいても、季節によって昼夜の長さが刻々と変わるという生活は避けられないので、便宜上不定時法が浸透したのだと思っている。今、我々は時間を計る仕組みやその機械装置のことを“とけい”と呼んでいるが、古くは水が滴る量をもとに時を見ていたので、それは漏刻(水時計)と呼ばれていた。手元の古本には陽とともに暮して来た人の習慣で、昼間の明るさ(猫時計;猫の目の瞳の細さを便宜的に利用)や棒を立てて、その蔭の長さから時を知る方法が浸透している事も説明されている。その棒は長さが2尺又は4尺あって、蔭の長さや方向で冬至の日まできちんと読みとっていて、“土圭”と呼ばれていたそうだ。それが今の時計という言葉に変化したようだ。

現代最新物理では、重力によって時の刻みも影響を受けてしまう事(アインシュタインの理論)や人知を遥かに超えた精度を持つ時間の計測方法が確立されてはいるが、所詮我々の生活は一息や一歩という尺度ですむ事が多く、農耕は太陽と季節、漁師は潮の流れ・満ち引きを正確に理解する事で、糧を失わぬよう叡智を凝らしてきた。腹時計の方が有用な時もあることを忘れてはいけないようだ。

偶々、同じような時に、twitterで2013年の新年が“新暦”の1月23日に始まる13カ月制の旧暦をベースにした手帳なども販売されていること(ルナワークス)も学んだ。有難い仕組みである。旧暦手帳を買いに行こうと思う。

2012/10/27  記す

民主主義って

我々日本人は少なくとも戦後生まれの世代で、義務教育、学校教育で本当の民主主義について学んだであろうか。恐らく、色々場面で選挙という行為があるが、多数決で第1位で選ばれた者を単に当選としていなかったであろうか。それが本当の民主主義で正しいのであろうか。それは無いであろうと思い筆を執った。

教科書的資料、専門的資料などは不要で、今日本人が使っている日本語の民主主義から出発したい。もともと、日本には民主主義という文化はなく、漢語のそれもdemocracy(wikiの引用)を中国語に訳した「民主主義;民ノ主ノ、民ガ主ノ、といった相反する意味状況で混乱していた」ものを日本語として使っているのだ。日本では democracy および republic に対しては当初はシンプルで区別なく対処しており、1862年に堀達之助が作成した英和対訳袖珍辞書では いずれにも「共和政治」の邦訳を充てていた。繰り返すが万国公法(中国、1863年)の渡来とその強力な受容により「民主」なる語の併用と混用の時代を迎えることとなる。

要は、民主主義という理念はよく探求もされずに、間接的に有権者・民意を代理する議員を曖昧な多数決によって選び、委託している状況を民主主義と思っているように見えるのだ。

当然公平な条件という事は前提であるが、公平とは該当のそのある団体組織を運営するための前提に沿って考えた場合、種々の異なった公平があることに気づくであろう。

とりあえず今日本の国政選挙、衆議院議員の投票は小選挙区制で例えば5人立候補して、1位41%、2位39%、3位10%、4位8%、5位2% という得票率の場合、1位41%の方が当選となってしまうのである。米国だと多数決・過半数の原則で1位と2位で再選挙を行わなければならない。逆転の余地がある。5人立候補しても始めから1位の方が50.1%以上の過半数をこえておればそのまま当選という事になる、

古めかしい言葉だが、xxxに資するという表現があるが、令和4年から18歳以上の成人に投票権が与えられるが、また25歳上になったら国政へ立候補することもできるが、自らを振り返ってみて本当に投票権、立候補に資するものを備えているかと。

身近の地域の自治会の役員選挙などを考えても、町会費を収めている正会員が立候補できる、または選考委員会で予め指名された候補者が総会で町会費を収めている正会員の表決承認を受けなければならない。 今時の業界団体でも同様で資本金に準じた会費を納めた正会員が理事役員へ立候補又は理事会から推挙され、総会で議決権を有する正会員の承認を得なければならない。

消費税

少し立ち入って考えると、国政での有権者は、何か正会員として納めるべき会費とは何なのであろう。ここでは数値の議論は別として、所得税、住民税でもなく、私は最低限生きるために購入している物の消費税だと思っている。資するべきものは義務教育の学校教育で受けるべき、民主主義とは社会の中で生きていくために必要な経済の仕組み、法律などの仕組みを実践的に学ぶことと思う。

最後の課題は国政立候補者の資するべきことであることに気づく。

現時点では、公民権停止者でなければ誰でもよいのである。皆さん、本当にそれでいいのかと疑問を持っているのではないか。 物価、貿易収支、企業の法人税率の優遇が国によって大きく異なるが、国民の経済課題に関する要求は厳しく、経済に疎い人が立候補者でいいのだろうか、更に、外交・国際問題、国防や戦略的インテリジェンス活動を要求される状況等々、立候補者として資するべき事柄は非常に多いのが実状で、今我々有権者が投票し選出されている議員さんはどのような立候補条件を所属する政党なり、個人なりで考えているのだろうか。

ここからが、私の自由な独り言を呟く事を許して欲しい。

国政に立候補したい方は、少なくとも事前に2か年間位の期間は、国の機関、もしくは国が委託した団体が設計した「国政立候補プログラム」に参加すべきと考える。履修し、あるレベルの設定された要件を満足しなければならないとしたい。その2か年間は社会人として働きながら履修可能な仕組みであること。例として相応しいかどうかわからないが、防衛大学校、気象大学校、税務大学校のように、行政機関の専門人材育成を目的としたシステムのように国政議員に立候補したい成人は履修すべきと思っている。如何であろうか?

しかし、世界の現実はもっと厳しく、間接選挙で投票した代理人である立候補者の当落を決定する多数決の運用管理でなく、社会を動かす・経済活動を通した変革が起きていることを解説している次の資料を紹介させて頂く。

大都市エリートが民主主義を滅ぼしてしまう理由/ 新自由主義的への反省と民主的多元主義の再生、 施 光恒 - 2022年11月30日 東洋経済オンライン

資料によると『新しい階級闘争:大都市エリートから民主主義を守る』は、Michael Lind, The New Class War: Saving Democracy from the Metropolitan Elite(London: Atlantic Books, 2020)の邦訳で、この『新しい階級闘争』は、戦後実現した「民主的多元主義」の安定した政治が、1970年代に始まった新自由主義に基づく「上からの革命」の影響を受け、機能不全に陥った結果、今日のアメリカでは国民統合が揺らぎ、分断が深刻化していることを指摘し、また、その分断の解消をどのように図っていくべきかについて論じられ、Lindリンド氏の第1の関心はアメリカ社会であるが、本書の議論は日本社会の現状を考えるうえでも大きな示唆を与えるという。

感動は短くても 自分に正直に ありのままに

先日、令和四年十一月初旬の深夜、ケーブルテレビで世界最大の映画市場をもつ印度映画が流れていて、始めはチラ見程度の気持ちであった。しかし、ストーリーが、印度初の火星探査機の挑戦、それも米国や露が先行して、我が印度などは確率的に米国・露に勝てる確率は0.00・・・ 1%, コンマ以下の”ゼロ”がいくつあったのかも画面がさっと変わり、分からない位、不可能だと場面的には印度自国の政府機関の役人が大声を上げている。
そんな場面で、その初の火星探査機プロジェクトを成功させたいという壮大な希望を持つ女性科学者が、次の様な具体的な事、実際の数値計算解析結果に基づく説明をしだす辺たりから、私は虜になったように、見入ってしまったのである。

思い出すと、日本の第1回目のはやぶさプロジェクトで度重なるエンジン故障で行った軌道修正。これは技術的には燃料を最少にして、地球や月、金星などの大きな質量のある惑星・衛星の重力を使うスウィングバイ方法を何回も重ね、先ず火星探査機を地球の重力圏から脱出させる、その説明過程で素人の役人や予算を握る政治家に対して、分かりやすくヨーヨーを使った若者のプレイで解説;以下に私の経験も重ねて記す。

私は中学生の時、ラジコン部に入っていて、ほぼ同心円状に操縦訓練のために飛ばすワイヤー付きの小型のエンジン飛行機があって、これは彼らが用いたヨーヨーと同じだなと思った。円の中心で、かなりの力で接線方向に飛んでいこうとする飛行機を抑え引っ張っている自分がいる。ヨーヨーだと紐の長さをヨーヨー球を投げる力で変えられるので、徐々に力を大きくして行き、最後は紐が切れる位の力で地球の重力圏を脱出させるというモデルの説明とした。

ストーリーでは、火星と地球の最接近日が決まっており、その何か月前に探査機を打ち上げられるようにと、政治判断でなけなしの予算50億ルピーで火星探査機の開発を進めよという事になった。実際、1ルピーは2円ちょっとで、総予算は100億円という非常に厳しい額であることはこの映画の出演者の表情で分かる。

私が感動したのはここからで、開発スタッフと中心の女性科学者の家族(古めかしい日本でいう昭和の臭いのする夫と現代風の飛んでいるハイスクルー生位の娘)の人模様。

科学者の女性はスタッフに対して、予算が削られたので打ち上げる探査機の重量をxxxxkgに減らせとストレートに言う、機材は減らせないとスタッフが食って掛かると燃料はどくらい減らせるかと問うと若手女性スタッフが反応する。お母さん科学者は次々に誰だれは何んとか責任者と無駄なく素早く指示している。印度は英国の植民地だったので、話す英語だけでなく文化も欧米化しており、スタッフの事務所の定刻の終業時間になるとみな家路に急ごうと、事務所は彼女を除いて空となってしまう。そこで、彼女も家に帰ることにした。

家に帰ると、昭和の臭いのする夫と飛んでいる娘の方を持つ母親の科学者が、娘が楽しんでいるダンスホール、クラブ、ディスコと言ったどの呼び名が適当か、私にはこだわりはないが、要は夫婦が乗り込んだのである。さて、何が起きるであろうか、先ず、母親科学者は娘と同様なモダンなダンスに興じる、おやじはニヤニヤと女性が多いホールを眺めていたが、少し間をおいて、妻に諭されたように私は感じたのだが、踊りだしたのである。それが、モダンなダンスだったらこの独り言は呟くことは無かったが、動きがモダンダンスよりももっと強烈で、それをリードする音楽も現代風からぐっと離れた印度の伝統的なもので、日本で言うと昭和の臭いのする古めかしい夫、おやじが、身体をくねらす動き、伝統的印度ミュージックの両方がスピーディーな踊りを、彼の偽りのない正直で、ありのままの自分をさらけ出したのである。

ホールは喝采となったが、その後をしるすことは本意でなく、科学者のお母さん、妻は、なぜ私がサイエンスの道を選んだのかというくだりになって、小さい時にスターウォーズの映画(初作品は1977年)を観て感動したんですよ、という処で私は十分満足して深夜番組のスイッチを切った。

見えないスポットライトを浴びる

令和4年9月22日深夜番組を見ていたら、夏の甲子園・高校野球、仙台育英高校が初めて優勝旗を勿来の関を越えさせた努力はいかにというような、注目を得ようとする流れであった。

これまで、東北地方や北海道の高校が野球の甲子園で活躍して、それなりの結果を残すと、それは所謂都市部にある中学の野球経験を積んだ生徒が親元を離れ高校留学をして、地方の地元出身の生徒が極めて少ないチームが編成されたことが大きな要因だと評判となる。しかし、地方の余裕のある学校が増えると、そういった学校同士の競争となり、そうそう特定な地方の高校も甲子園では優勝するのも辛い状況となる。野球以外のスポーツ種目でも、個人競技種目でも高校留学はあたりまえのこととなっているのが実情である。そこで、スポーツという世界、同じルール条件で競争するには、いい選手・いい指導者(監督・コーチ・支援スタッフ)が必要という話となる。時には指導者達の行き過ぎた熱血指導が問題となることも多々世間を賑わす。

今年、令和四年夏の甲子園を制した宮城県の高校では、優勝監督のデータに基づく選手の管理育成 組織論とマネージメントというコンサル事業のキーワードや私が見た他のスポーツとの類似性に少し触れたい。

そのTV番組のコメンテータは過去のトップ選手ばかりで宮城の高校の優勝監督は野球経験ありだが、補欠にもなれない、18名のベンチ入りも出来ない3流と言っていたが、スポットライトも当たらない選手の心を理解し、どう工夫すれば自己改革ができるかを理解し、それを実現して行こう、く若い子供を現代風DXとデータの見える化を行い初の優勝へ導いたストーリー>と言えるタイトルがぴったりな内容であった。元高校球児、プロの有名投手を経て監督などを務めたA氏は所謂、スポットライトを浴びた側の人間、野球界では限られた一人のスタープレヤーからなる選手投手から構成された古い型のチーム構成でマネージメントをして来た方ではあるが、新しい時代に即した新しいマネージメント手法に共感していた。陸上競技のトップランナーでオリンピック、世界選手権にも出場し、小さい時から常にトップの位置を占め、野球とは異なった一匹野郎的な個人T氏であったが、T氏自身、スポットライトを浴びていたので、当時はそこまで理解しようとも思わなかったようだが、この仙台育英の監督の新しい選手育成能力引き出し法ともいえる手法に共感していた。

私は呟いた、見えないスポットライトというのもあるのかも知れない。最近のグループを主にする歌謡ショーでは踊り振付が優先し、歌唱力は二の次、暗闇のステージにかなりの人数の煌びやかな衣装をまとった若い人たちがパッと浴びるスポットライトはもう一筋でなく、何筋もあり、その筋はどんどん速い動きに合わせて行ってしまい、過去の直立不動の演歌歌手が本当の明るいスポットライトを浴びている様とは全然変わってしまっている。

新しい組織論、マネージメント手法、分担型能力育成、人材の満足度を高めるリーダの存在とお互いの信頼というキーワードを思いついた。例えば、エース級の投手を3人育成し、予選決勝トーナメントを戦う中で単に疲労分散だけでなく、選手の性格、当然ポジションとして要求される機能面も少しずつ異なった面を持ち合わせるように育成することであろう。野球よりチーム人数が多いサッカー、ラグビー、そしてアメフト(American Football) のルールを読み直して、試合当日ベンチ入りできる人数、交代要員、再出場の可否について調べた。数字を上げる前に当然分かることだがこれらはそれぞれのポジションの選手(組織論で言えば異なった階層的役割を持つ人材の育成は違う)の育成練習方法と結果を出した自己の評価も違う事になる。


種目  試合出場人数 ベンチ入り人数   交代可能人数   再出場の可否

野球    9        18        自由        No

サッカー  11        18       (3)        No

ラグビー   15       22        (7)        No

アメフト    11       45      自由     可能 何人でも

アマチュアの選手以上にプロ選手の世界では、このような大勢の選手からなるチームの場合の個々の選手の評価が難しい。野球の場合、攻めと守りで大きく違う選手の評価、野手は攻めの打ちで評価され、投手は守り(私は投手の攻めと思う)の投げで評価されるので、一種の団体戦のように思われるが、個人の打点(打率やホーム数)や勝ち数(奪三振数や自責点)で評価されてしまう。

最後にアメフトのルールは究極で、ベンチに大勢が待ち受け、頻繁に交代があり、再プレーも出来て、スポーツ以上の組織運営論へ話が飛びそうになる。アリの大きな集団では働きアリの2割は何もしていないのだそうだ。始めから休憩してスポットライトが当たっていないのではなく、見えないスポトライトが当たっており、それで指図を受けているような如くに振舞っているのではないかと思うのである。

白; 知らないことの新鮮さ

最近、読み聞かせ、それも文字を習う前の小さな子を対象としない、大人の読み聞かせを体験する機会があった。大人を対象にするので、朗読やちょっとした江戸時代の小話を聴く、みじかい落語の感じがした。このような体験の延長で声優さんのいろいろな作品を朗読しているYoutubeを検索・視聴し、そんなことを暇に任せてお盆休み前にしていたら、芥川龍之介の作品は短編が多いので、結構、朗読対象になっていたことを知った。これまで、長編作品のたけくらべなど難解な樋口一葉の作品に挑戦し、そのままになっていた。今年のお盆前には芥川の羅生門の朗読を始めとして、蜘蛛の糸を繰り返し繰り返し、聴き惚れてしまった。

そして、六九歳になって初めて知ることになる「白」という短編作品がYoutubeのトップページを飾っており、それは淡いグレーと濃いグレーの単調2段階でデザインされて、特徴の無い犬が淡いグレーで描かれており、ははーん、これで<しろ>という犬の話になるのだなと思ってしまった。以降、私はその朗読を聴いた「白」の感想を呟くつもりはなく、詳しくは文字で全貌が紹介されている青空文庫などを参照して頂きたい。

さて、子供の絵本の読み聞かせ会などがあるが、文字をまだ知らない小さな子は絵本で与えられているカラフルな絵柄という作家特有な映像と耳から得た聞きことば情報を的確に覚え、自分の頭に刻み込んでいるのだ。諳んじている自分の知っている絵本の内容を早くお披露目したく、我が家では子供がまだ小さい時、家内が絵本を読み始めると長男がまだそこまで進んでいないストーリーを弟・妹にばらしてしまい、よく小さな喧嘩の始まりとなった。

大人の読み聞かせには例として初めて聞く作品の朗読が一番だと思う。初めて聴く新鮮な言葉を受け入れ、それを瞬時に同期させ、こんな情景なんだろなとか、思い浮かべる自らが創造する色合いの情景は私には楽しい。個人個人によって情景の配置や色合いは異なって当たり前であろう。しかし、著名な作品が映画化、TVドラマ化され、さらにヒットしてしまうと自分で想像するという前に監督だのドラマ演出家の意図が前面に出て、作品の著者が意図していない方向へどんどん行ってしまう事もあろうが、そういう時は小さな諦めも必要だ。

私は初めての「白」から1週間ほどして、2度目の<しろ>を探した。というのは、芥川は結婚9年目で自殺してしまったが、その4年前の結婚5年目にして自殺を暗示させる作品を残そうとしていたのかと背筋が本当にゾッとした。隣のくろと呼ばれる黒い犬が犬殺しに捕まり、自分は咄嗟に逃げ、自分だけ生き残った事を苛み、「白」の中で1度だけ自殺したいということばが出てきた。実は<しろ>は外観が黒い犬「芥川は鍋底よりも黒いと表現している」に変わってしまい、田端の駅付近から流浪の旅に出るのだが、出来れば死にたい死にたいと、あちこちで、蛇や狼と戦い、火や鉄道に飛び込み子供を助け、アルプスの山では遭難しかけた一高生を助け、死にきれずに自宅に戻るのある。その流浪の旅は決してカラフルでなく、ほとんど白黒の世界に近かった。

数年前、私は芥川が世間で言われている神経衰弱で病み、藤沢の鵠沼の海岸近くで療養し、自殺する前に東京田端の自宅との間を行き来した時期について調べた。新婚生活を始めた鎌倉にも近い鵠沼、その後田端の自宅に戻っても二階に籠り文章を練る作業に没頭し、神経衰弱の源は自分の作品なのか、それとも別なものなのかと、さらに健康もすぐれずにいたという。鎌倉や鵠沼と聞くと自然豊かな、新緑の緑を表現する場合や碧い海と連なる同じくあおい空を表現する場合には、組み合わせや、グラデーションまで考えると数え切れないわくわくする空間を想像し、そんな色合いが豊富な世界・暮らし向きを勝手に考えてしまうが、実はそうでなかった芥川の白黒の濃淡の世界が支配していたのだろうと想った。

朗読を拝聴し、自らは書かれた文字を目線で追う作業の代りに(といより軽減し)、余裕を持って色とは別の次元の世界の探索、つまり書き手の気持ち、意図、精神状況、心理状態等々を想像・推測出来ると信じている。<しろ>は人の話していることは分かっている。しかし、人は<しろ>の言葉は分かっていないという。「白」では精々茶色い世界までしか覗けず、それでも裕福だと思い詰めている。<しろ>が何とか自分の家に戻って来るが外観が黒く汚れているので、坊ちゃん・お嬢ちゃんには分かってもらえず、手荒く・ぞんざいに扱われてしまう状況に落ち込んでしまった。

よく、漱石の話で出てくる I love you を月が綺麗ですねと訳せる心持と、どうしても引用させて頂きたいのだが、芥川と結婚が決まっていた文はお相手のお名前は聞かれても言い出せずに、そっと羅生門の冊子を差し上げたという逸話を最近知ることになって、芥川も文さん位のある種の心持の余裕があればもっと長い結婚生活をおくれたのではないかと思った次第です。

ここ掘れワンワン、水と油 (2)

井戸があって、10メートルまで掘れる技術を持った部族Aがいた。遠く離れた地域の部族Bがいて、その部族は20メートルまで井戸を掘れる技術を持っている。さらに、別の部族Cは30メートルまで井戸を掘れる技術を開発して、水を得て部族を養っていた。

10メートルの井戸が枯渇して部族Aは滅んでしまったと言う。しかし、部族Bから20メートルまで掘れる技術を習ったとしても、部族Aが住む地域で20メートルまでの深さで水が出るか否かは賭けみたいなもの。必ず、20メートルまで掘れば水が得られるという確信があればハッピーという事になる。

又、よく考えると、深さ10メートルで取れた水の値段と部族Cが30メ-ルまで掘り下げて得た水の価値は違うはずだ。それらを容器に詰めて市場へ持って行き、同じ水で価格の違ったものなど売れない。しかし、10-20メートルの井戸が枯渇して、全て30メートルより深い井戸を掘れる技術の重要性と高いコストが市場で受け入れられると、時間とともに水の値段が上がる世界があることになる。

こんな井戸など掘らなくとも、季節毎に天から雨が降り、それを貯めて充分部族全員を養える部族Dが、やはり遠く離れた地域にいる。しかし、年が経つと天から雨だけでは足りず、悩み始めた部族がいるという。

現実に戻ると、今やこの笑い話の水を石油や天然ガスに替えて考えると、まさに我々が直面しているエネルギー問題になる。水を飲むだけならいいが、化石燃料を燃やして各種エネルギーを得ると、悪者にされた二酸化炭素ガスが排出され、地球の温暖化の犯人とされている。先の2009年12月のコペンハーゲン会議で、シナリオ450が提案され、現状の化石燃料の使用ペースのままだとレファレンスシナリオと言って、ゆくゆく大気の二酸化炭素ガス濃度が1000ppmまで高まり、予測温度上昇が6度とされている過酷な悲劇的な状態に陥ってしまうものを言う。シナリオ450の450は大気の二酸化炭素ガス濃度を450ppmまでに抑えようとする(現状は約390ppm, 2030年まで)、各種再生可能エネルギーの積極的開発投資政策と省エネ政策を全地球規模で推進しようとするものである。このシナリオ450でも、温度上昇は2度とされている。

季節毎に天から降る雨と比喩したことは、再生可能エネルギー量のことであって、天高くから降り注ぐ、太陽光(ソーラ発電)、太陽熱の直接利用、地熱利用、バイオマス利用、風利用の風力発電などである。降る雨は貯める大きな甕で十分であるが、我々が直面している各種再生可能エネルギーを有効利用するためには、“深く井戸を掘れる技術”に相当するイノベーション技術を開発しなければならない。

こんな事を話しているが、化石燃料資源がまだまだあることが最近解ってきて、近い将来それが大量に利用出来るようになると、その化石燃料の価格がかなり下がるかもしれないという。コストがかけられる井戸を深く掘れる技術のもう一面は化石燃料の埋蔵量、埋蔵地域をドラスティックに変えてしまう事である。例えば地下2000mまでの原油を掘れる技術と、埋蔵している地域をこれまでの資源国と考え、新たに地下4000mまで掘削出来る技術を持った所に、運良く深部に天然ガスが埋蔵されている地域があるという新たな戦略的資源国が解ってきた。左記に紹介した資料の11ページを読むと、米国に相当な埋蔵量のシェールガスがあることが示されている。
http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g90406c07j.pdf

以上の様な話が12年前の9月に記され、2022年の2月以降、世界のエネルギー争奪、物価高騰、食料供給危機等で、世界の地政学的色分け問題にまで発展するなど誰も予想だにしていなかった。ただ従来の路線の延長ではエネルギー価格の高騰が多様な物価高騰に繋がる程度の事と思っていた。

貧しい欧州の国々の人達が15-16世紀に海洋を西進し、アメリカ大陸を発見し、同じ欧州の東寄りの国の人達が地続きの極寒の大陸を東進し、最果てのサハリン・カムチャッカに達した。アフリカの大群を制するボス格の象は遠く離れた水の気配を感じ取ることができ、乾季に数百キロmを歩いて水場へ群れの生命の為に導くという。それに比べて人は、地下の深い地層に含まれる石油や天然ガスを取り出し、地表の太いパイプで数千キロm輸送できるインフラシステムを構築出来るまでのスマートさを誇示するに至っているが、その途中にバルブを設け、それを右向け右と経路を変えたり、閉ざすことによってエネルギー供給を戦略的いや意図的に運用しようとする輩も地球上にはいるのだ。