ある意味では幸せな人生

令和四年四月に入って築百年以上と言われている平屋建ての「離れ」 からなる宿に泊まる機会があった。もともと西武系の企業が所有していたらしく、庭の手入れも行き届いて芝や木々も山間の地形に相応しく、昔流に言うと湯治にゆっくり日にちも数えずに休んで、楽しみたいという処であった。
  さて、ここからが舞台の幕開けで、その離れ宿に入りますと、玄関の引き戸の鍵が真新しくはなっているのだが、方式は古いものであった。畳敷きの二間の空間は全て襖で仕切られている。私の背丈は180㎝はないが、立ったままだと四畳位の玄関へ連なる小部屋と大部屋を仕切っている襖の取っ手に自分の手が届かない位低い所にあるのだ。そうだ、無作法に立ったままで襖の開け閉めをしてはいけないので、一度跪いて座るように腰を下げるとぴったりの高さに設計されているのだ。 次の大広間を見ると本当にただの畳敷きの部屋で椅子などはない。さすがに和風の卓机と座る時の背もたれは用意されていた。部屋の見分として、玄関から部屋に向かわずに板張りの廊下を左に行くとトイレ(便所、厠、御不浄等々の名称があるがあえてトイレと言葉を使った)があり、和風の板張りの空間で結構広く便器は流石に現代風のウォシュレット付きのものであったが、手を洗う水道は蛇口でなく、吊り下げ式ブリキ桶で下にあるネジを捻るとお水が適量流れ出てくる手水鉢のようなものを再現した古い仕掛けのものが残されていた。今回の宿でこれが私には一番気に入った。さらに一~二歩先は風呂場で脱衣所と浴室(洗い場と湯舟)になるわけだが、湯舟は石造りで温泉の源泉がゆっくりと出てくる。決して広くはないが百年前の日本人規格には十分であったと思う。
  私はこの数年来腰痛と坐骨神経痛に悩まされ、久しぶりに東京から近い温泉場に浸かりに来た訳だが一番の大敵は中腰状態で、それを避けるには立ったままの方が楽で、加えて椅子に座れば比較的普通の状態で維持できる。その離れの造りは鴨居も低く私が立ったままで手を少し伸ばせば簡単に掴まれる位である。

さて、庭を散策しようと玄関に向かうと靴を履こうとして靴ベラを探した。無いようだと思い、一瞬腰を曲げようとしたら白い長さの短いプラスチック状のものがあり、それが靴ベラであった。普段自宅では柄の長いほゞ立ったままで使える靴ベラを使っているので無意識に柄の短い靴ベラという概念が消え去っていたのだ。百年以上も前にこの離れでお客人を接待もてなしていたであろう小柄な日本人は何の不自由もなく、立ったり座ったりして、ふすまを開け・閉め、お出かけのお客人も玄関先に座って柄の短い靴ベラで十分な健康人であったに違いないと信じている。それに比べ、むやみに体格が良くなった現代人は胡坐をかいて畳に坐ること・こじんまりとした椅子に腰かけることや低いテーブル・洗面台の前にして中途半端な角度に腰を曲げたり、腰痛を発生させる機会が多いと感じているが、そうかと言って、大きな椅子、サイズを大きくしたテーブルや洗面台は規格品でそう容易く規格変更も出来ない。
  約百年前の日本人の寿命は42-43歳、偶然にも1920年に第一回の国勢調査が行われ正確なデータが残っている。体格・背丈はと調べると、当時の二十歳の男女で160-150㎝、40歳代の大人は150-140㎝台半ばでさらに小柄で、日本人が縄文・弥生・古代・近世時代と変遷する間で一番小柄だったという江戸時代を引きずっているように思われる。最近の寿命は女性で八十歳の後半に入っているようだが健康寿命は平均して十年は短い。という事はその十年間は如何様な状態なのかという事を議論する必要があろう。老いが迫り、認知能力も体力・機能低下も同時に起きてくればこれは単に病を治療することではなく、痛み・苦しみ・悲しみ等々との対峙である。人生五十年、還暦(六十歳)を迎えられることが最大のお祝い事だった時代に生きた人々は他の感染等の疾患には相当悩んだにはちがいないが、現代の高齢者が遭遇する十年以上の*torture も無く、高度成長期にイケイケどんどんと満身創痍で家庭を顧みず仕事だけに立ち向かい、ストレス多き環境を経験した世代にとってそのtortureが二度目の長きストレスになることにも関係無く、ある意味では短くとも幸せな人生を過ごせたのではないかと思った次第である。

*torture, 長らく米系外資系企業に勤務していた時に本社のマネージャが日本人相手の仕事は torture だよと度々言っていたことを思い出して引用した言葉である。辞書的意味 ; 拷問、罰、もともと捻られる捩じられるという責め。

ノン・コグニティブ・スキル 非認知能力

 日本語を理解する際に一番厄介なことは先人が所謂英語の発音をカタカナで表記したカタカナ外来語である。その理由は先人がそもそも適当な和訳漢字を見出せなくて、発音をそのまま表記したことで、難しさも醸し出しながら、本来の意味はと知りたい一般人を惑わせている。
 さて、以前プラズマという言葉について呟いた際の宿題として自らが自らに課した事(non-cognitive skill/ノン・コグニティブスキルの本意)に少し立ち入る。発端はノーベル賞受賞経済学者(James J. Herckman/ ジェームズ・ジョセフ・ヘックマン)が所謂学力、IQ値を英語ではcognitive ability と言い、それに対してnon-cognitive skill が子供たちの小さい時から育つ環境によって大きく異なり、大人になって豊かな生活(精神的にも経済的にも)を送れることを左右すると指摘した。そのジェームズ・ヘックマンは学力・IQ値を全否定したものではないが、翻訳の世界・業界が英語から日本語へその論理展開される際に、私が疑問に思ったことがあって、non-cognitive skill が非認知能力と和訳され、認知症の認知と混乱したことであった。その原英文ではconfidence and perseverance <自信や根気強さ >のようなこととされている。

 付け加えると我々日本人がいつ頃から認知という語句を使い出したのか定かでないが、私の短い経験では痴呆症を認知症と言い換えた比較的最近の出来事;平成十六年厚生労働省の痴呆を差別的でない用語で置き換える検討会が開かれ、最終的に認知症とした。
痴呆 から 認知症 認知障害 用語変更検討 平成十六年 厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/12/s1224-17.html

 もう少し詳しい経緯を調べたのだが、非認知能力とは学力・IQ値を否定した意味ではなく、感情や情緒など精神的な範囲のことをいい、ジェームズ・ヘックマンが指摘してから、文科省の研究課題に取り上げられ著名な大学の先生方で検討された報告書(2017年)まで目を通させて頂いた。その報告書ではnon-cognitive skillを情緒的強みと言い換えている。さらに、最近の大手新聞のコラム記事「2022年1月13日読売新聞朝刊 p11 ニュースの門、memoより では、次のように <一学級の児童数が減った教育現場は、> 学力のほか、意欲や根気強さ、協調性といった非認知能力に対してどのような効果があるのかという課題が提起され、児童数が減ったクラスが即、非認知能力の育成に繋がるのか?という疑問が紹介されていた。

 実は私がこの独り言をまとめるに際して一番時間を割いたのが、心理学者アンジェラ リー ダックワース さん(Angela Lee Duckworth)の2013年TEDトーク(YouTubeで検索出来ます)で、子供の教育現場での観察・研究が進められ、子供が成し遂げた成功・成果は学力・IQ値に関係なくGRITだとの示したことである。

TEDxBlue – Angela Lee Duckworth, Ph.D – 10/18/09 – YouTube

 本寄稿を準備していた際に起きてしまった、もっと痛ましいのは令和4年1月15日の大学受験の第一ステップの共通テストの早朝に中部地域から都心へ移動し、某著名大学の入り口付近で受験生と老人に傷害を与え、近隣の駅での放火や在籍学校について騒がしたりした事件を起こした受験前の高二の生徒のnon-cognitive skillの醸成は忘れられ、周囲もcognitive abilityのみを求め、それだけに答えようとして無理をしていた高二の子供の心を爆発させたのでしょう。また、関西の女子大生が関東圏の著名私立大に再入学したいという意欲的な意思を持ちながら、同15日の共通テストでスマフォとSNSを使い、試験場外の第三者を通じて所謂カンニングを行い、メディアではそのスマフォを使ったカンニング方法の詳細は?と賑わせたが、その女子大生が自首して、犯人は誰かという事の決着は得た。しかし、医者になりたいという高二の子供と十九才の女子大生の心情、なぜそこまでの行動に追い込んでしまったのかという議論はメディアではされずに、新型コロナの第6波の感染者急増にテーマを替えてしまった。

 アンジェラさんの2013年TEDスピーチではnon-cognitive skill という英語は使われていないが、成功への鍵はGrit(Grit is passion and perseverance for very long-term goals.)であるとお話したが、非認知能力も非常に時間のかかる目標を達成するための情熱と根気強さと同じことです。そもそもGRITなる英語の意味は?で、アンジェラさんは再定義し、Guts(度胸):困難なことに立ち向かう能力、Resilience(復元力):失敗しても諦めずに続ける力、Initiative(自発性):自分で目標を見つける力、Tenacity(執念) :最後までやり遂げる力 の頭文字を取ったものです。GRITという言葉が広まって、和訳されて“グリット“という外来語になって皆さんに変に表面的だけの意味を受け入れて欲しくないというのが私の願いです。