闇と光汚染

 昨年末、お付き合いのある企業様から所謂翌年の新年のご挨拶の品を頂いた。翌日、その頂いた手作り写真カレンダーを開くと、名刺大のカードが挟んであり、2023年/先を見る との表書き、裏には一寸先は闇か光明か と添えてあり、その裏の添え書の方がレコードのA面のように聴こえたのである。
 これまで、私が漢字文化で一応育った60余年の間、字の構成としてはある時、気が付いていたのは間違いないことであろうが、きちんと意識して、門構えのなかに音という文字が挟まれていて、それをヤミとして自分自身に受け入れていたのか少々怪しくなった。なぜなのか、漢字の古典として、部首等の組合せで新たな文字を生み出していく、今流のイノベーションが普通に行われるのが象形文字である漢字文化の骨格である。なぜ、門構えに音で、音とは一見関係なさそうなヤミを意味させるのであろうか?
 全くの個人的経験であるが、信貴山の朝護孫子寺に行くとお堂の地下に造られた空間をわざわざお金を払ってまでして、そのヤミを体験(戒壇巡り)したことがあった。そこは本当に全く光明のない真っ暗な空間で、壁つたいに人は歩く事しか出来ない。指先の触覚(感覚)が頼りである。しかし、暗くても、人が2人居て、声だけが2人を結びつけられる事も出来るのである。闇というのはこういう感覚的に分類出来ることばで、物理的意味も持っている。

さて、もう一つの光明であるが、次の2010年6月のマイブログで2009年に話題として取り上げた光汚染について書き残してあった。

追記 *1、*2
  昨年2009年の前半に、海外の雑誌に掲載されていた環境問題。これまで、環境問題の中で汚染物質排出はフロンガス、二酸化炭素ガスや 有害金属、有害有機物質、炭素微粒子、石綿などが取り上げられ、指摘されていたが、 ある海外雑誌では、light pollution を取り上げていた。
 過剰過ぎる夜の照明。これは安全な night life や 夜間屋外活動(スポーツ、イベント、 何もプロだけでなく一般の人が夜間帯に行うものが非常に多い)を拡大してきた。夜間が明るくなると、人の生理的営みが神経的にも阻害されてくるそうだ。 人だけでなく、人工の光が与える動物への影響もあるという。
  *1半導体の1種であるLED照明が開発されて、エネルギー効率が従来の白熱灯に比べて約3分の1と非常に小さくなったことは良いのだが、装置のコストも低減されて、従来と同じエネルギーをと投入すると光る光束の量は3倍になり、夜空が更に明るく輝いてしまう光汚染(公害)となってしまっているのだ。
 400年前のガリレオが初めて手製の望遠鏡で見た星は今や都会では決して見れないとうノスタルジー的文章からその海外雑誌は始まっているが、一度エコ、省エネの観点だけでなく、夜間照明の在り方も検討課題の一つとして入れたい。光で汚染と言われると、いい気分がしない。せいぜい、キャンプの焚火の明るさで済ませる生活がいいのだろうか。現代人類の生活がここまで来てしまってると後戻りは出来ない。
 米国NASA提供が提供している夜間衛星写真(添付URL)は、おそらく想像以上に地球規模で夜の世界の営みが奥地まで進んでいる事を物語っている。
http://apod.nasa.gov/apod/ap001127.html
このサイトの中央にある写真をクリックすると詳細な夜間の光の分布を見ることが出きる。
 この写真を見て、何を想像してしまうか。想像力の豊かな人ほど悲観的になってしまうかもしれない。今や、全世界にくまなく広まっている、電気供給網(グリッド)が出来上がっていることは、エジソンの時代の電球の発明から100数十年という長い時間が見える。この光の分布を見ていると、地球上のちっぽけな狭い日本だけでエコ、グリーン運動を血眼に行っても、本音のところ効果がなさそうに思える。グローバルな取り組みが是非必要であろう。

 地球上にいて、今でもかなりの奥地へ行くと、そこの夜は闇夜でなく、天を見上げると満天の星と天の川で一杯である。その様子を高感度映像でどこかのTV番組が流していた。それは、人工の照明がないからこそある、ありのままの世界であって、古の人は、現代の宇宙へ上がってしまった衛星からではなく、地上から宇宙の地図の光のグリッドを見て、想像を広げ、神話などを語っていたのであろう。その高感度TV放映像の中を、素早く右から左方向動き、消え去った強い光があった。やはり、人の仕業の”未確認飛行物体”が夜間でも蠢いている証であった。*2私自身の体験でも1980年代の後半の米国東岸部のノースカロライナ州の田舎の夜空は、まだこのような「闇夜」であった。

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This header photo was taken by myself, when I have participated 2014 Photonics West at SF, CA. After completion of conference, I took my favorite bay cruise and got to shot the eight slopes in town of SF from bay side.

サブタイトル:さがしもの

 目が疲れた、指先も疲れたなという声にもならない終わりだった。それはある日の夕方のことで、今は4-5時間経って、あるTV番組を見終わって、70歳になった歌手の人生みたいな内容で、以前呟いた小椋佳さんが苦労して歌詞を考案する方法とは違ったやり方で歌詞を紡ぎ、作曲もする方のやはり苦労話に気が行ってしまったのである。その歌手は10代半ばで上京し、挫折の度に長崎という自分の故郷へ逃げ帰ったそうだ。私など、工場勤めの父の会社の横浜にあった社宅に生まれてから6年間、その後神奈川県の近郊に引っ越しそこに12年、東京の大学に入って大学近在で2か所下宿を変え、そのまま結婚したので棲みかも都内で、帰る故郷と言える町などはないなと、横道にそれた想いになった。
 何故そんなに疲れたのかという理由についてお話するのが本流である。サラリーマンを早期に辞め自営業になって、早17年を過ぎようとしている。それからブログを書き始めて、そのブログのトップページの写真を変えようと決めて、そうだ2016年に海外出張へ行って報告書を書いた資料のトップページで使ったある写真を探しはじめていたのである。結果を先に言うと、さがしものの写真は見つかったのであるが、そのプロセスは壮大で、デジカメ写真の画像を何枚、いや1000枚以上になったかもしれないのであった。
 探そうとしている写真はサンフランシスコSFの急坂の道で、それもbay側から見たもので、近くの港から出船する好きなクルージングの船から眺めたものである。SFには米国系外資企業のサラリーマン時代から毎年訪れていて、自営のコンサルタントになっても、顔を出すカンファレンスの種別は若干変わっても2005年から2016年まではSFを訪れていた。毎年必ずクルージングの船に乗ったわけはないが、時間があると、ナパバレーのワイナリーツアーかこのSFの急坂が平行に8本も並んで見えるクルージングに出かけていたのだ。始めの頃はただSFには急坂が多く、サラリーマンがスケボーを蹴ってオフィスに行く様子などがフィーチャーされていた。自分でも、クルージングで始めから8本もの急坂が綺麗に平行に並んで存在し、それをフレームに収められるとは想ってもいなかった。実際、4本だけ急坂が並んでいて、その4本の組み合わせも撮った写真によりまちまちであった。
 最初の早とちりは、2016年のカンファレンス報告書だったので、2016年のデジカメフォルダーを見分したのだが、見当たらなかったのである。そこで、過去の年度のフォルダーも探したのだが、見当たらなかったのである。そうだ、その頃はデジカメの性能が急速に向上し、機種も一番古かった国産のN社のものからS社の機種へ、更にS社の機種で安価で使いやすいレンズ系のF値がやや大きい自分でS500と呼んでいる3台をある時期混在して使っていたことを思い出した。現在はS500を自分で、Sは家内が使っている事にはなっているが、皆さんと同じように、性能が格段と良いスマートフォンのカメラ機能に頼っている。

そんなこんなで、結局2014年のフォルダーにそのものは鎮座していたのである。何年にも渡りSFの急坂に向けてシャッターが押されていたが、8本も綺麗に並んで撮れていたのは実は1枚で、4本であったり、bayクルージングは私が個人的に興味を持っている8本の坂のことなどお構いなしに、都合の良い所でゆっくりと進んでくれることもなく、陸からの距離も私の頭の中のベストショットのポジホンに関係なく、行きかっていたので、ただボーッと遠目に丘が見えるだけだった。
  偶には私のとりとめのない、ストーリーのない独り言に、お付き合い頂いたことに、有難うと申し上げたい。SFはこの8本の急坂が仕事上での私の故郷と主張しているのかなと想った。

令和5年2月記す

私の澁澤榮一氏

普通、著名人の名は知っていても、何かの事情がない限りその方の人となりに深く立ち入ろうとはしない。私も東京北区に住み始めて40数年、今年67になる。北区では澁澤榮一氏が一万円札の肖像画に選ばれたとか、NHKの大河ドラマ番組の主人公に選ばれたとかで、盛り上がっている。私は澁澤氏の名は知っていたが、深く立ち入ろうとしたのは約10年前のことである。そのことをマイブログに書き残しておいたのを思い出した。その後、地元の先輩に誘われ、深谷の澁澤榮一の実家見学まで出来た運を得た。


2010年11月15日記す。Bank (ブログの題目)

この英語は、我々は今では“銀行”という言葉で受け入れ、金融機関の主役を演じていることは誰でもが知っている。

先日、早稲田穴八幡神社で、毎年開催されている古本市で買い求めた一冊の古書、幸田露伴著、澁澤榮一傳(昭和十四年六月十日初版発行、岩波書店)を、昨日目を通していた。購入して直ぐ、全頁は読まずに、ページを捲って部分的にどのような澁澤榮一が描かれているのかと探ろうとはしておいた。

昨日の朝、NHKの番組紹介で、12月に入って再開する坂上の雲の第2弾の紹介をしていて、ちょうどテーブルの上にあった、少し時代は早いが活躍したこの澁澤榮一傳のページを捲った。ページを進めると、第一国立銀行をひきいた澁澤が明治初めに、bankという英語に和訳の“銀行”を授けたと説明している所に出会った。以下その下りを私が現代的に示したものである。

銀は銀(シルバー)だけを意味せず、金銀の兌換性を言い、行(注)は鋪、業、糸屋・米屋・石屋の様に使われている屋の意味を持たせてあるという。鋪は店舗、業は広く使われ、商業というある程度大規模な経済活動をしているもの、xx屋は中小企業の商いから物作り工房などの意もあると思う。

注:行は元人の百二十行、明人の三百六十行の行の如くと書中で引用されている。調べたところ、元人の百二十行は不詳だが、明人の三百六十行は蘇州版画で蘇州の繁栄を象徴する商店や運河のにぎやかな光景を描いており、それを引用したものと推察される。神奈川大学の非文字研究サイトに出ています。

http://www.himoji.jp/

http://www.himoji.jp/jp/publication/pdf/nenpo/No03/097-111.pdf

これらの漢字の組み合わせを変えると、金行、金鋪、金業、金屋、銀鋪、銀業、銀屋などが出来るが、やはり“銀行”が澁澤にはぴったりだったのだろう。

さて、本来の銀行の役割は蘇州版画三百六十行図にあるように、繁栄を象徴する商店や運河のにぎやかな光景をいつまでも作り出したり、継続したりすることであって欲しいと思う。いたずらに、マネーゲームを先導したり、金融経済政策として管理、制御する側に立ち過ぎないで欲しいとも願う。

地元北区に、澁澤榮一資料館もあり、明治以降に三菱をまとめ上げた岩崎弥太郎に視線が行ってしまうが、関東の澁澤榮一にも目を向けて欲しい。

詳しくは、澁澤榮一資料館サイトを参照して下さい。

かくして、Bankに象徴されるように、明治時代に入ってからの澁澤氏の活躍貢献(多くの銀行、株式会社設立や事業支援、慈善団体の設立・支援)が評価されているようだ。

が、しかし、私は、江戸幕府の大政奉還から明治維新時の国難の際に、澁澤氏は日本におらず欧州に居て、水戸藩の徳川昭武(御年十五歳)の巴里万博視察団随行員団の端くれとして働き、万博後留学中の水戸藩の徳川昭武を帰国させるべきか、万が一欧州滞留が長引くかも知れぬと、会計係として不足していた資金の工面、質素な生活、さらに今でいう保険や有価証券投資(数年は日本へ帰還出来ない事を想定)をして、借金返済や少しの蓄財までした能力(榮一は欧州の経験豊富な経済・金融界の知古より仕組みを学んだ)に注目して頂きたいし、チャレンジ精神を評価して欲しいのである。

澁澤氏は昭和六年九十二才で旅立たれたが、明治維新の時は若干二十七才であった。今の時代で、若輩の二十七才でこれだけの使命を受け、そして主君を守り、欧州の経済的仕組みを理解し、習得し得た成果を開花させ熟成出来るだろうかと考え込んでしまった。

白; 知らないことの新鮮さ

最近、読み聞かせ、それも文字を習う前の小さな子を対象としない、大人の読み聞かせを体験する機会があった。大人を対象にするので、朗読やちょっとした江戸時代の小話を聴く、みじかい落語の感じがした。このような体験の延長で声優さんのいろいろな作品を朗読しているYoutubeを検索・視聴し、そんなことを暇に任せてお盆休み前にしていたら、芥川龍之介の作品は短編が多いので、結構、朗読対象になっていたことを知った。これまで、長編作品のたけくらべなど難解な樋口一葉の作品に挑戦し、そのままになっていた。今年のお盆前には芥川の羅生門の朗読を始めとして、蜘蛛の糸を繰り返し繰り返し、聴き惚れてしまった。

そして、六九歳になって初めて知ることになる「白」という短編作品がYoutubeのトップページを飾っており、それは淡いグレーと濃いグレーの単調2段階でデザインされて、特徴の無い犬が淡いグレーで描かれており、ははーん、これで<しろ>という犬の話になるのだなと思ってしまった。以降、私はその朗読を聴いた「白」の感想を呟くつもりはなく、詳しくは文字で全貌が紹介されている青空文庫などを参照して頂きたい。

さて、子供の絵本の読み聞かせ会などがあるが、文字をまだ知らない小さな子は絵本で与えられているカラフルな絵柄という作家特有な映像と耳から得た聞きことば情報を的確に覚え、自分の頭に刻み込んでいるのだ。諳んじている自分の知っている絵本の内容を早くお披露目したく、我が家では子供がまだ小さい時、家内が絵本を読み始めると長男がまだそこまで進んでいないストーリーを弟・妹にばらしてしまい、よく小さな喧嘩の始まりとなった。

大人の読み聞かせには例として初めて聞く作品の朗読が一番だと思う。初めて聴く新鮮な言葉を受け入れ、それを瞬時に同期させ、こんな情景なんだろなとか、思い浮かべる自らが創造する色合いの情景は私には楽しい。個人個人によって情景の配置や色合いは異なって当たり前であろう。しかし、著名な作品が映画化、TVドラマ化され、さらにヒットしてしまうと自分で想像するという前に監督だのドラマ演出家の意図が前面に出て、作品の著者が意図していない方向へどんどん行ってしまう事もあろうが、そういう時は小さな諦めも必要だ。

私は初めての「白」から1週間ほどして、2度目の<しろ>を探した。というのは、芥川は結婚9年目で自殺してしまったが、その4年前の結婚5年目にして自殺を暗示させる作品を残そうとしていたのかと背筋が本当にゾッとした。隣のくろと呼ばれる黒い犬が犬殺しに捕まり、自分は咄嗟に逃げ、自分だけ生き残った事を苛み、「白」の中で1度だけ自殺したいということばが出てきた。実は<しろ>は外観が黒い犬「芥川は鍋底よりも黒いと表現している」に変わってしまい、田端の駅付近から流浪の旅に出るのだが、出来れば死にたい死にたいと、あちこちで、蛇や狼と戦い、火や鉄道に飛び込み子供を助け、アルプスの山では遭難しかけた一高生を助け、死にきれずに自宅に戻るのある。その流浪の旅は決してカラフルでなく、ほとんど白黒の世界に近かった。

数年前、私は芥川が世間で言われている神経衰弱で病み、藤沢の鵠沼の海岸近くで療養し、自殺する前に東京田端の自宅との間を行き来した時期について調べた。新婚生活を始めた鎌倉にも近い鵠沼、その後田端の自宅に戻っても二階に籠り文章を練る作業に没頭し、神経衰弱の源は自分の作品なのか、それとも別なものなのかと、さらに健康もすぐれずにいたという。鎌倉や鵠沼と聞くと自然豊かな、新緑の緑を表現する場合や碧い海と連なる同じくあおい空を表現する場合には、組み合わせや、グラデーションまで考えると数え切れないわくわくする空間を想像し、そんな色合いが豊富な世界・暮らし向きを勝手に考えてしまうが、実はそうでなかった芥川の白黒の濃淡の世界が支配していたのだろうと想った。

朗読を拝聴し、自らは書かれた文字を目線で追う作業の代りに(といより軽減し)、余裕を持って色とは別の次元の世界の探索、つまり書き手の気持ち、意図、精神状況、心理状態等々を想像・推測出来ると信じている。<しろ>は人の話していることは分かっている。しかし、人は<しろ>の言葉は分かっていないという。「白」では精々茶色い世界までしか覗けず、それでも裕福だと思い詰めている。<しろ>が何とか自分の家に戻って来るが外観が黒く汚れているので、坊ちゃん・お嬢ちゃんには分かってもらえず、手荒く・ぞんざいに扱われてしまう状況に落ち込んでしまった。

よく、漱石の話で出てくる I love you を月が綺麗ですねと訳せる心持と、どうしても引用させて頂きたいのだが、芥川と結婚が決まっていた文はお相手のお名前は聞かれても言い出せずに、そっと羅生門の冊子を差し上げたという逸話を最近知ることになって、芥川も文さん位のある種の心持の余裕があればもっと長い結婚生活をおくれたのではないかと思った次第です。

ここ掘れワンワン、水と油 (2)

井戸があって、10メートルまで掘れる技術を持った部族Aがいた。遠く離れた地域の部族Bがいて、その部族は20メートルまで井戸を掘れる技術を持っている。さらに、別の部族Cは30メートルまで井戸を掘れる技術を開発して、水を得て部族を養っていた。

10メートルの井戸が枯渇して部族Aは滅んでしまったと言う。しかし、部族Bから20メートルまで掘れる技術を習ったとしても、部族Aが住む地域で20メートルまでの深さで水が出るか否かは賭けみたいなもの。必ず、20メートルまで掘れば水が得られるという確信があればハッピーという事になる。

又、よく考えると、深さ10メートルで取れた水の値段と部族Cが30メ-ルまで掘り下げて得た水の価値は違うはずだ。それらを容器に詰めて市場へ持って行き、同じ水で価格の違ったものなど売れない。しかし、10-20メートルの井戸が枯渇して、全て30メートルより深い井戸を掘れる技術の重要性と高いコストが市場で受け入れられると、時間とともに水の値段が上がる世界があることになる。

こんな井戸など掘らなくとも、季節毎に天から雨が降り、それを貯めて充分部族全員を養える部族Dが、やはり遠く離れた地域にいる。しかし、年が経つと天から雨だけでは足りず、悩み始めた部族がいるという。

現実に戻ると、今やこの笑い話の水を石油や天然ガスに替えて考えると、まさに我々が直面しているエネルギー問題になる。水を飲むだけならいいが、化石燃料を燃やして各種エネルギーを得ると、悪者にされた二酸化炭素ガスが排出され、地球の温暖化の犯人とされている。先の2009年12月のコペンハーゲン会議で、シナリオ450が提案され、現状の化石燃料の使用ペースのままだとレファレンスシナリオと言って、ゆくゆく大気の二酸化炭素ガス濃度が1000ppmまで高まり、予測温度上昇が6度とされている過酷な悲劇的な状態に陥ってしまうものを言う。シナリオ450の450は大気の二酸化炭素ガス濃度を450ppmまでに抑えようとする(現状は約390ppm, 2030年まで)、各種再生可能エネルギーの積極的開発投資政策と省エネ政策を全地球規模で推進しようとするものである。このシナリオ450でも、温度上昇は2度とされている。

季節毎に天から降る雨と比喩したことは、再生可能エネルギー量のことであって、天高くから降り注ぐ、太陽光(ソーラ発電)、太陽熱の直接利用、地熱利用、バイオマス利用、風利用の風力発電などである。降る雨は貯める大きな甕で十分であるが、我々が直面している各種再生可能エネルギーを有効利用するためには、“深く井戸を掘れる技術”に相当するイノベーション技術を開発しなければならない。

こんな事を話しているが、化石燃料資源がまだまだあることが最近解ってきて、近い将来それが大量に利用出来るようになると、その化石燃料の価格がかなり下がるかもしれないという。コストがかけられる井戸を深く掘れる技術のもう一面は化石燃料の埋蔵量、埋蔵地域をドラスティックに変えてしまう事である。例えば地下2000mまでの原油を掘れる技術と、埋蔵している地域をこれまでの資源国と考え、新たに地下4000mまで掘削出来る技術を持った所に、運良く深部に天然ガスが埋蔵されている地域があるという新たな戦略的資源国が解ってきた。左記に紹介した資料の11ページを読むと、米国に相当な埋蔵量のシェールガスがあることが示されている。
http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g90406c07j.pdf

以上の様な話が12年前の9月に記され、2022年の2月以降、世界のエネルギー争奪、物価高騰、食料供給危機等で、世界の地政学的色分け問題にまで発展するなど誰も予想だにしていなかった。ただ従来の路線の延長ではエネルギー価格の高騰が多様な物価高騰に繋がる程度の事と思っていた。

貧しい欧州の国々の人達が15-16世紀に海洋を西進し、アメリカ大陸を発見し、同じ欧州の東寄りの国の人達が地続きの極寒の大陸を東進し、最果てのサハリン・カムチャッカに達した。アフリカの大群を制するボス格の象は遠く離れた水の気配を感じ取ることができ、乾季に数百キロmを歩いて水場へ群れの生命の為に導くという。それに比べて人は、地下の深い地層に含まれる石油や天然ガスを取り出し、地表の太いパイプで数千キロm輸送できるインフラシステムを構築出来るまでのスマートさを誇示するに至っているが、その途中にバルブを設け、それを右向け右と経路を変えたり、閉ざすことによってエネルギー供給を戦略的いや意図的に運用しようとする輩も地球上にはいるのだ。

小椋佳さんの縁語と創造性

 作詞家の小椋佳さんは若い時に相当悩んだそうだ。人は何故生きるのか、創造性のみが生きる証にみたいな哲学的に深く思慮することなく、東京大学を卒業してしまい社会に出てしまったことを悔いていることを吐露している深夜TV番組を令和3年7月の最後の日、8月1日にならんとする前の時間帯に私は観たのだ。

 私は創造性が人の生きている証だというような小椋氏的哲学的な思唯もせず、機械的に、人間味もなく只、効率よく発明をしたい、創造をしたいと理由で、よく世間で言われているような閃きで発明出来たとか、創造できたとかというプロセスをもっと科学的にやりたいと、若い頃から考えていた。次のイノベーションというプロセスを外部からインプットする前に、図解は省くが言葉の連関性を少し数学的に纏めることによって出来そうだということを、サラリーマンを早期退職してコンサルティング業を始めて、異業種セミナー、コンサルティングセミナーで紹介する機会もあった。
 イノベーションという既存にあるものを新しい組み合わせで、今までにない機能や効果をもたらすという行動、活動が単に科学的発明という領域でなく、ビジネスの領域で叫ばれ、興隆し、大きな成果や事業実績を欧米企業があげて、国内企業も後を追いかけ、それなりの成果を示してきている。
 さて、小椋佳さんは作詞をする際に、縁語(ご縁があるという表現を使うが、類似している言葉、仲間のような言葉)を用いて、言葉の世界を広げて、創造性を高めているようなお話をされていたのだ。例えば、海という言葉から島、波というような縁語を発生させて、さらに生まれた島や波という言葉から次々と縁語を発生させて、言葉を紡ぎ、唄の歌詞を創造していく独自のプロセスを作り上げたそうだ。それらはまさにイノベーションであって”苦しんで生み出す”そうだ。そのTV番組では奥様の談話があって、本当は”楽しんでやって欲しい”との事だった。小椋さんの縁語というやり方は中心の言葉があってその言葉から比較的容易に類推、創りだせる言葉の集合体といえる。
 閃きを科学するプロセスは言葉、そのものではなく、言葉の集合体で説明される知の一つの事象で、例えば中心の事象xxがあって、容易に類推できる事象xxxと容易には類推できない事象yyyがあって、容易に類推出来ない事象をある段階、あるステップで繋ぎ、今までにない事象を見出していこうとする方法である。
 小椋さんの縁語でも、海から容易に創りだせる島や波という言葉でも、逆に島から”海”という言葉を思い浮かべる重みと波から”海”という言葉を思い浮かべられる重みとは同等でなく、違うはずである。それも人の経験や背景で違うのも当然であろう。海から島を思い浮かべる頻度と島から海を思い浮かべられる頻度が異なるということだ。

異業種の会などで私の紹介した5つの事象例は
 A 水は0度で凍る。
 B 氷は0度で溶ける。
 C コップに入れた水と氷の共存、冷たい飲み物
 D コーラを飲む。炭酸水、氷、味の共存。
 E 塩を加えると温度が下がる、添加物を加えると凝固点温度が下がる。

 ここで一つ一つの事象の間に連関ベクトルを定義する。一般に連関ベクトルの大きさの特徴は異なり、例えばA-B B-Aはほゞ同じ大きさと思われるが、A-E E-Aは異なる。さらに、A-C C-Aや
C-D D-Cも異なる。さて、これらの事象を4ステップで繋ぎ、その連関ベクトルが小さいと推定されるルート、D-C-A-Eによって、コーラを飲む—添加物を加えると凝固点温度が下がる という普通は類推しないような事象にも注目してみようという、知的財産創造プロセスへのアドバイスになる信じ、提案している。紙面が限られているので、ご自分の創造したい領域で、考えてみてはいかがでしょうか。

 素人の戯言で申し訳ないのだが、小椋さんの縁語は文字が読めない・書けない小さな子供でも諳んじられる音を中心とした「ことば」で紡がれ、自然発生的に創造される歌詞とメロディーが上手く共鳴するように織り重なって、心地よい歌を沢山生んだものに違いないと確信した。
  「歌創り50年青春に帰る」というTV番組のタイトルも、何か老け込んだと言っても怒られない、誰もが否定はされない今現実の小椋さんではあるが、彼の若さ、あどけなさは彼の歌詞・メロディーに染み入っており、それらが若い人に引き継がれ口ずさまれ、生き続けていく。

二つの疑問;新型コロナウィルス感染率とワクチン接種

昨日、令和4年1月9日現在、東京都内の1日当たりの感染判明者は1224人、総検査数が分からないが、感染者率が10%とすると、その他90%の発熱相談者約11000人の方は新型コロナに感染していなくとも、他の何らかの発熱をもたらしたウィルス、病原菌に起因すると想定される感染症に罹患しており、コロナの9倍もの方が社会活動しているのだ。

2番目の問題として、今回のオミクロン種罹患者で2回のワクチン接種者はワクチン効果で軽症、もしくは無症状率が高いと報じられている。ということは、ワクチン2回接種者が普通の社会行動をして、自ら感染源として作用していることとなる。私はこの状態が過去に見なかった週毎の10倍以上の感染者上昇率をもたらしているのではないかと推測している。

旧型のコロナ種患者は肺に重篤な症状をもたらしたが、このオミクロン種罹患者は鼻・喉に炎症をもたらす程度で、始めの指摘の発熱相談者数に含まれないのだ。

高速・高集積度の半導体チップを搭載したイーサネットスイッチの売上が好調

令和3年12月16日リリース情報、オリジナルソースは文末のサイトを参照して下さい。

2021年第3四半期の結果がDell’Oro社より以下のように公表された。データセンター向けにイーサネットスイッチが11%も売り上げが伸びた。シスコ、アリスタ、Huaweiがトップ3社(順に)であるが、トップのシスコは数%シェアーを落としている。2番手のグループのwhite box maker のアリスタやジャニパーが伸ばしている。

グーグルとアマゾンは既に400Gbps スイッチを300万ポートもハイパースケールDCに導入済でマイクロソフトも第3四半期より導入開始するという。

Ethernet Switch Revenues Reach New High as Cisco Loses Ground – SDxCentral

プラズマ・Plasma

言葉は多才、複雑だなと、最近実感した事があった。翻訳の仕事をしたり、主に英語の資料を分析解釈しているコンサルの仕事をしていると、辞書のごとく英語のある言葉が日本語の特定な訳語に1:1に対応するなど稀であって、文化の多様性で腹や胸の辺りをグサッと刺されるようなある種、変に高揚する気分になる。このような言語文化の課題は時間と変遷が絡む現代日本語と古文の関係にも言え、要は理解される様に分かりやすく嚙砕いて伝えることが出来ればほっと安心する。
物を意味する言葉、形容する言葉、感情表現する言葉、抽象的思考状態などを表現する言葉へと、だんだんと文化の差が広がると言葉の表現もかけ離れて、時には日本文化にはあるが欧米文化では無いとか、その逆も多々あることを経験している。
さて、最近プラズマというカタカナ英語(外来語)が気になるのである。明治時代の文人はカタカナ読みの外来語は使わず、漢字の意味を吟味・尊重し、出来るだけ漢字2文字の「好字」スタイルに表現した努力と才力には敬服する。理系の私はプラズマと聞くとplasma state、すなわち、ものを構成している原子がバラバラになり、電子や原子核が分離してしまうような高エネルギー状態を思い浮かべてしまうのである。
というのは、最近国内メーカの商品でプラズマ乳酸菌をうたっているものがあって、その名称にプラズマというカタカナ文言を使用しているので、一体どんな乳酸菌なのか、その理由・由縁が気になったのである。その商品のメーカはラクティス・プラズマというカタカナ文言を引用して、その商品説明では、プラズマ乳酸菌は免疫細胞を取り仕切る直接プラズマ・サイトイド樹状細胞に働くとあり、プラズマ・サイトイド樹状細胞は元の英語表記は調べるとplasmacytoid dendric cell となっている。樹状細胞がdendric cellであり、plasma-cytoidをやっつければ私の気は少しは澄むだろう。医薬系の資料では 共起表現・形質細胞様の樹状細胞という専門用語が使われている。私に混乱の状態へもたらしたプラズマはプラズマ・サイトイドからきており、共起表現・形質細胞様という訳の分からない漢字で表記したものが原因であった。
しかしこれで終わりでない。訳の分からない漢字の羅列の正体を突き止めないと、私もすっきりと出来ないし、お付き合いして読んで頂いている方にも合点してすっきりとしてもらいたいのである。そもそも、英語のプラズマという文言が年代的には
1712年、ラテン語・ギリシャ語の型で作られたとか、薄く広げたという意味のplasmaを語源として形状、 かたちを示すものとされた。
1845年、血液の液状の部分、遊離細胞の血球やリンパ球などを示すとされ(生化学領域)、
1928年に物理の世界でイオン化したガスを意味するものとなったと詳しい英語の辞書に書かれて いたのである。
私は1953年生まれ、1700年代や1800年代の古い生化学の事などの知識もなく、最近の物理のプラズマ状態という極めて限られた世界の事のみを信じ、それが普遍的な事だと変な理解をしていた為にこんな顛末になってしまった。プラズマとは、血液の赤血球を除いたもはや赤色をしていない黄色味を帯びた一見一様に見える液体を当時の光学顕微鏡で見たところ、沢山密集した小さなつぶ状の物であり、人の健康や病気に関わっているという大発見をして、そういった微細な形状の密集体を意味したものなのだと納得できた。
最近、もっと悩ますnon-cognitive skill を非認知能力と和訳している分野があり、これは認知能力が低下した高齢者の認知症の事ではなく、これをノン・コグニティブ・スキルとカタカナ表記して済ませる事も出来ない。年明けの近いうちに、また呟いてみたい。

令和3年11月2日記す