最近の歴史は面白い。文字がなかった先史時代の遺跡や有史時代の遺跡が発掘されて、それらは数多くの最近開発された分析手法とそれらに紐解かれた分析結果を従来になかった社会的見地で、大胆な仮定が昔の姿だったんだという事を、納得させてくれるからだ。私は好きが高じて、所謂2次情報のみで、今回の独り言を呟いている。
素人歴史家・考古学好き人間なのかもしれない私は、受験で取り組む、特に世界史になるものが当時好きでなかった。ただ時間軸を古きから新しきものだけにした見方と単純に何年にどういう出来事があったとするだけの見方には、なじめず点数も及第点に届かず再試験もやった。
学生時代と記憶しているが、米国の南部の黒人家庭(アフリカから奴隷として連れてこられた)のルーツを自ら調べようとした本が出版されたころに、種々の科学的手法を適用し、時空を超えて戻ったり進んだりして、暴いて行こうとする姿勢が大胆で面白しろそうだと思った。あとは、サラリーマン時代にアイスマンンという欧州のアルプスの峠越えのルートで5000年前と思われる氷漬けのミイラが見つかり大騒ぎとなった事件を書いた単行本を買ってしまった。普段は古本購入で済ませているのだが、私が新版の単行本を購入してしまう位、衝撃的だった。
先ず自分の数少ない実体験からスタートしたい。子どもの頃の印象や大人になってから地元の社会活動グループを通じての実体験である。縄文貝塚が少し標高のある海から離れたところにあった。都内で古い神社は標高20数メートルに鎮座し、その坂下から縄文時代の幾重にも堆積した牡蛎の貝塚遺跡が見られる。青森・函館の縄文遺跡見学し、結構今の海岸線から離れていると不思議だった。
土器の再現焼成で、古代文化との関わり、組成の化学分析で判明。 以降、考古学は最新の材料の微量分析技術、半導体の微細部解析により進む。
弥生後期の再現古代人の顔が母方の祖母・叔父さん(埼玉県在)にそっくり、関東北部群馬県の榛名山近くと記憶している遺跡の遺骨分析。次に、父方の従兄弟の顔・背丈が非常にそっくりで見知らない方が2007年・オリンピック前の北京に出張で訪れた時に、タクシーから降りた際に街角で見かけた。本当に久しぶりと挨拶をしようとしまう位、似ていたことを実体験した。
続々と進む縄文遺跡・弥生時代の遺跡発掘
戦いに関する遺物がない縄文時代
12x35cm単位(身体の特定部位の長さ)と規則性・数学の発達?
小さな子供を葬った甕の中に小石が1つ、2つと(三内丸山縄文遺跡)
入っていたそうで、資料ではその点についてのコメントはなく、
私は1歳で亡くなった子供・2歳まで生き存えた子供と直感した。
寒冷化による1万年以上続いた温暖な縄文時代の終焉と、
急変する戦闘的弥生時代の環濠遺跡
吉野ヶ里遺跡の再発掘・傷を負った多くの人骨が甕棺墓に
氷河期と暖気、間氷期の暖期 海面変動と人や大型動物の移動
学説;太陽の活動(400年前から黒点の出現数を観測)、
11年の周期性の乱れと黒点数がゼロの年が続くと
気温が下がり*1、太陽の活動が活発な黒点数が多い
時期は気温が上がる。実は太陽が放射する光のエネルギーは、
ほぼ変化せず、磁場の乱れと関係し、弱くなった太陽系圏の
磁場を通り抜けた高エネルギーな宇宙線が悪さをする(
大気中に小さなエアロゾルを形成し、それが雲の核となり
雲が増えて日射量が下がる?)
氷河期と間氷期の長さ 地球の傾いている自転軸のコマ収差等
は宇宙的現象。次の両先生方の論文を参照。
常田佐久教授・国立天文台
冨田成夫准教授 筑波大
*1:マウンダー極小期
最近のDNAゲノム分析手法
ミトコンドリア(母親の系列のみ)以上に核のDNA(男系情報)のシーケンサーに
よる詳細解析。
仮説;縄文人のDNA(D1a)と現日本人のDNA,現生人類はいつ頃
日本列島にやって来たか?
氷河期の38000年前に、アフリカを出発した現生ホモサピエンスは、
アジア大陸へ、そして日本列島に到達。しかしスフール大陸・
オーストラリアまで南下したGrが再度沿岸を北上したGrと
途中でアジア大陸内で北上したGrが樺太経由南下して、
列島に到達したと考える。これらの南方系Grと北方系Grが混血して
縄文人として日本列島内外で活動したと思われる(
D1aという男系縄文人DNAの呼称)。
篠田謙一氏 佐賀医科大 現国立科学博物館;発掘された人骨の歯を中心に解析
詳しい日本列島人のルーツは? に関する分析結果に関する多くのレポート。
氷層中のガス微量分析、環境変化(火山活動・7300年前に大噴火し地盤沈降したカルデラを有する、現代人の工業化活動)を取り込む南極の氷層をサンプル。
Lidar 地中RADAR :考古学 XCT MRIによる遺物のデジタルデータのAIによる解析
無人ドローンによる空中測量が暴く古墳や巨大遺跡
磨製石器と黒曜石の地理的関係と新石器時代を生き抜いた人類とは?
分布と旧新石器時代の人の交流
九州の国東半島・姫島(学生時代)と信州和田峠(40代)の訪問
日本列島に見られる人為的痕跡のまとめ
ここではDNA分析結果で提唱されてるものを参照
127000年前 砂原遺跡
38000年前 氷河期海面低下100m以上
17000年前 長江河口に住む倭人
13000年前 国産黒曜石の拡散
10000年前 温暖化による海進と海面上昇
7300年前 南九州アカホヤ大噴火
3000年前 稲作文化を持つ民族の日本列島へ流入
西暦3世紀 寒冷化で北方民族が南下
西暦4世紀 空白の4世紀
西暦6世紀 これ以降は記紀の文字情報による
次 に続く