先日、都内で土砂降りになる前の朝5時ごろの朝焼けです。写真1
何か、雲が生きているように、もくもく対流している姿です。写真2
いずれも、都内北区某所から南東方向の空を見上げています。
現代人には、頭の中には概念として、旧暦(太陰暦)と今我々がお世話になっている新暦・太陽暦があることを知っている。しかし、人が年間の四季を通じて、肌身で感じる日常の生活では、12か月制の太陽暦と季節感や二十四節気との間に、実は乖離があることを感じている。
先日知り合いが、twitterで日の出から日の入りまでの時間帯を6等分する不定時法について呟かれていて、昼の八つ時に間食をしたのが“おやつ”の語源だと教えてくれた。そんなきっかけで、毎度の通り部屋の隅に積み上げてある古本の中に、確か古い時刻制度のことを書いたものがあるはずだと探し出した。それは、“日本の時刻制度”橋本万平著(塙書房;昭和41年9月20日発行)である。
地軸が傾いているので、地球上の何処に住んでいても、季節によって昼夜の長さが刻々と変わるという生活は避けられないので、便宜上不定時法が浸透したのだと思っている。今、我々は時間を計る仕組みやその機械装置のことを“とけい”と呼んでいるが、古くは水が滴る量をもとに時を見ていたので、それは漏刻(水時計)と呼ばれていた。手元の古本には陽とともに暮して来た人の習慣で、昼間の明るさ(猫時計;猫の目の瞳の細さを便宜的に利用)や棒を立てて、その蔭の長さから時を知る方法が浸透している事も説明されている。その棒は長さが2尺又は4尺あって、蔭の長さや方向で冬至の日まできちんと読みとっていて、“土圭”と呼ばれていたそうだ。それが今の時計という言葉に変化したようだ。
現代最新物理では、重力によって時の刻みも影響を受けてしまう事(アインシュタインの理論)や人知を遥かに超えた精度を持つ時間の計測方法が確立されてはいるが、所詮我々の生活は一息や一歩という尺度ですむ事が多く、農耕は太陽と季節、漁師は潮の流れ・満ち引きを正確に理解する事で、糧を失わぬよう叡智を凝らしてきた。所謂、腹時計の方が有用な時もあることを忘れてはいけないようだ。
偶々、同じような時に、twitterで2013年の新年が“新暦”の1月23日に始まる13カ月制の旧暦をベースにした手帳なども販売されていること(ルナワークス)も学んだ。有難い仕組みである。旧暦手帳を買いに行こうと思う。
http://www.lunaworks.jp/kyureki_diary/diary1.html
平成24年10月16日の知り合いの方のtweet。
「六つ」というと午前の6時ころか、18時ころかが分からないので、午前は「明け六つ」で、午後は「暮れ六つ」と言った。室町ころから日の出から日の入りを6等分する不定時法が定着した。ひるの「八つ」はだいたい14時ころで、その頃間食をしたので「おやつ」というのだそうだ。
今風にいうと“おやつ”は大体午後3時ごろに、腹が減って来た頃に口にする、お菓子みたいな食べ物のこと。
横浜生まれで、その後神奈川県の中部、茅ケ崎で育った私の記憶では、友人の実家(大農家)ではおやつを“おこじゅ“と呼んでいた。それはネットなどがない昭和40年前後の頃の話。今、ネットを紐解くと、”おこじゅー“は神奈川や多摩地域の”おやつ“のことの方言と説明されている。
さて、知り合いのtweetでは旧暦の時間の分割の仕方が西洋風とは異なり、日本では不定時方法によると、昼の八つは今の午後2時ごろになるそうだが、今は定時の午後3時ごろに口にするちょっとした食べ物が“おやつ”になってしまっている。
さらに続けると、今我々は1日に三食食事を取っているが、その昔は日本も西洋も朝、夕の二食だったと聞いている。そんなことで、身体を使う仕事をしている人が殆んどだった昔はちょうど腹が減る頃に何かを食したいことになる。所謂、おやつ・間食で、恐らくそれが昼食(ランチ)となり、三食制へと変わっていたのではないかと推測出来るのである。
現代人は、朝、昼、晩と三食も食らう人種となってしまっても、さらにおやつと称して午後3時ごろ何かお菓子みたいなものをしっかり食べるようになってしまっている。昼食を食べることが本来の“おやつ“とするとそれで十分なはずである。
最近、私の周辺でデザインという“言葉”がキーワードになっているシーンが多い。教育関係のInstructional design とか イノベーション関係で Design thinking 。
実際にデザインという言葉の本来の意味を確認する為に、英英辞書を手に取る前に、これまでの自分にとってのデザインという言葉はどのようなものであったか振り返ってみた。“設計”というより、紙に何かクレヨンかペンで、ささっと図形を描いて、視覚的に見える図柄のような認識だった。それがそのうち、設計するという抽象的な言葉へ認識が移っていた。
さて、眼の前の英英辞書;The AMERICAN HERITAGE dic・tion・ar・y のdesign のページを開いて、ちょっとどころか非常に驚いたのである。To conceive; invent が最初の説明であった。確かに、その幾つか後に、名詞で a drawing or sketch という説明もある。いや、これまで、このスケッチや図柄という概念に引きずられていた事を反省した。
To conceive; invent なんだと言われると、“設計“どころか、深く考え、創造し、心(意識)の中に形作るものであるという意味があり、それも他人の真似ごとでなく、最初に考えつかないと、本来のdesignという言葉に値しないようだ。
こう合点がいくと、教育関係のInstructional designや、イノベーション関係のDesign thinkingが活きて来た。言葉にも命があるように思えた。時代が変わると言葉の意味も変遷して行くことも認識しておかないといけないようだ。
無料で高等教育がonlineで受講できるシステムが欧米を中心に進んでいる。例えば、edX とか Courseraという学習コースで、米国の著名な大学 Harvard, MIT, Stanford, Princeton の教授の講座をインターネット経由で好きな時間に、本当に無料で受講できるのである。
それでは、大学の神髄の売りは何処に求められるのかをAndrew Norton氏が議論し、提案している。
ある一定の知識を身につけるだけならば、どの教授でも、どの大学の名(冠)でも、似たような内容が提供されている教材で十分である。しかし、それは、オンラインのコースを履修・修了したという事実だけで、所謂実際のキャンパスに通い、学士号を取得したことと、分けて考えている。
事実、オーストラリアの大学では高等教育に関する予算が20年間にも渡って、減少させられていて、オンラインのコースの方は低コストで構築出来るので、この種の教育が進んでいる。例えば、国家試験があって、資格を取得する様な教育は、別に何処の大学、教授が誰か、教材が何かはあまり関係なく、最終的な資格試験に合格すれば良いのである。
しかし、高等教育を学んだ人材を採用する企業側からの強い要望として、今グローバルに急速に伸びつつあるオンライン履修者に対して、何かが欠けていると言われている。詳しい分析では、実際に大学というキャンパスで実体験出来る素晴らしい事として、interpersonal とcommunication 能力が養えると指摘している。企業側の評価として、オンライン履修者にはこれら2点が欠けているとしている。
特に、高等教育の場では、知を売るだけではない、実体験できる場がある事が評価されているのだと思う。Instructional Design (ID) では、認知技能、運動技能、更に態度に関して教育工学的な立場から、それぞれ異なったIDを開発しないといけないとされている。まさに、運動技能や態度を育成出来るであろう face to face の実体験が出来る場を、如何に提供すべきかかが、今後の大学の売りになっていくキーポイントと期待している。
キーワード;Free online education vs. on campus education
参照;
edX: http://www.edxonline.org/
Coursera: https://www.coursera.org/
情報元;
http://theconversation.edu.au/when-courses-are-free-online-whats-left-for-universities-to-sell-8134
以下、2009年3月24日通信業界の国際カンファレンス、2009 OFC Plenary sessionで、実際に聴講した講演に関するまとめである。
ローレンス・レッシグ氏、スタンフォード大教授、米国で最も影響力のある公共的な知識家、法律の専門家。デジタル通信時代の知財の専門家。ローレンス氏は、過去の(創造物の)蓄積や法律や技術で社会が推奨するか、又は禁止する環境に依存して、如何に・どのように創造的な仕事が形成されるという社会基軸を持つ創造性に重点をおいて研究している。
19世紀以前はread writeの文化
20世紀はread onlyの文化
21世紀は新しくコピーライトの概念を考え直さなければいけない。
copy | Re-mix | |
Professional | Needs copy right | Gray zone |
amateur | Gray zone | free |
インターネットでは企業や個人が多くの引用物(絵、音楽、写真、動画)を混ぜ合せながら作られるコンテンツが掲載されるが、その文化やコピーライト・著作権とはどんなものかと考察している。
アマチア(公開されても商用に対価を取って販売されない)のリミックスは自由に出来なくてはいけないという精神があると思う。
http://www.reuters.com/article/2009/03/22/idUS42888+22-Mar-2009+BW20090322
当時残しておいたメモ書きをもとに、3年も経てから何故まとめたかは、Open Education の仕組みの中で、インターネット上に公開される教材・コンテンツなどのクリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CCライセンス)活動を推進している団体があることを教えて頂いたからです。
Open Educationに関する“Opening up education”という書籍(出版はMIT Press、原著英語のみの公開)を紹介して頂いた。
http://mitpress.mit.edu/opening_up_education/
これは、飯吉透氏とビジェイ・クマール氏が27件もの実体験レポートを編集された形式で出版されている。スポンサーはカーネギー財団である。タイトルは副題を含めて、和意は“教育は開かれた:公開技術、公開コンテンツ、公開知識を通した教育の革新”と必ずしも、日本語として普段使い慣れている語彙ではないが、そんな意味があるとご理解頂ければ幸いである。
全体は以下の3章で構成され、それぞれ27件の個別のレポートが各章の趣意に合うように構成されている。
セクション I 公開教育技術
セクション II 公開教育のコンテンツ
セクションIII 公開教育に関する知識
英文量としてはA4サイズで、500ページもあり、読破するにはかなりな挑戦的な量である。
27編の中で第24番目の論文 (Learning Design: Sharing Pedagogical Know-How;デザインを学ぶ-教育工学的ノウ・ハウの共有)の内容にちょっと目を通した。驚いたことに文頭に公開教育で経験した“2つの成功と1つの失敗”と述べられていたことである。どんな成功と失敗があったのか気になって読み進めた。簡単に言うと、マネージメントシステムの開発と教育コンテンツを公開共有することは成功、しかし教育工学的ノウ・ハウを教える側の教諭間で共有するプロセスが欠如していたことが失敗と反省されていた。
1番目の成功はMoodle, Sakai, LRN, ATutor とか他の様々な創造的なコースマネジメントシステムを開発したことと運用出来たことと記されている。
2番目の成功はOpenCourseWare, MERLOT, ARIADNE, 他の様々な先駆的なコンテンツを自由に共有出来たという事である。
気になる、反省している失敗例は、実際のe-learningコースで、経験のある教師が提供している“教える”というプロセスをきちんと捉えていなかったこと。これまでの多くのe-learningは図書館に所蔵されているコンテンツと似ているだけで、本来e-learningの最大の特徴であった教室内の協調的学習経験とはなっていなかったと記されている。如何に教えるというプロセスが科学的に、工学的に捉える事が易しくないという事を暗示している。
参考までに27編のタイトルを挙げておく。
セクション I 公開教育技術
1 序論、公開教育技術:強烈に沸きあがった強い意識
2 公開教育技術の設計について
3 門は閉じられた、公開教育への技術と文化の障害
4 公開ソース(内容 コンテンツのこと)戦略は問題? iLabs プロジェクトから学んだこと
5 公開教育の結果の評価
6 収穫は大き過ぎたか? 教育で得られる沢山な“収穫”の構成
7 デジタル図書、学習グループと公開教育
8 公開教育における公開ソース(コンテンツ);期待と挑戦
セクション II 公開教育のコンテンツ
9 セクションIIの序論、公開教育コンテンツ;形を変えて教育へアクセスする(近づく)
10 公開教育リソースを通して教育の機会を広げる( 多くの人が参加できる)
11 グループベースの研究活動として、公開学習を創り上げた
12 MERLOTグループの経験から学んだこと:教育工学的コンテンツと研究戦略とを併用することにより、公開教育リソースの効果を拡大させる
13 なぜ、公開教育を利用したりそのユーザのことを理解しなければいけないのか
14 公開コースの資料:共有するという文化を形成する
15 Connecxionsの事例:公開教育へ移行するための挑戦と(参加できる)機会
16 2005-2012年の間の公開コース資料
17 イノベーションを通した教育の革新: 公開するということで教育・学習を変貌させることが出来るか?
セクションIII 公開教育に関する知識
18 セクションIIIの序論、公開教育知識: 教室の扉を開け放つ以上のこと
19 直接・生の要望: 公開(協調)理解へ向けた学習と教育の奨学制度
20 オープンスペースの真ん中で: 複数の階層のある公開教育グループを通した学びに関する知識の積み重ね
21 公開教育: 継続的で効果的な公開教育へのカギ
22 継続的な公開教育イノベーションのための技術で出来る知識の創出と共有の普及と紹介
23 システムの変化への足場
24 デザインを学ぶ: 教育工学的ノウ・ハウの共有
25 共通知識: 高等教育における公開性
26 何のために公開する? 振興組織のリーダーシップと変革の事例研究
27 公開知識へ向けて次に何をすべきか?
こちらは正真正銘の下町のフレンチのお店のお進めです。
昨晩知り合いと久しぶりにお邪魔しました。
お料理の写真はあえて載せませんが、お皿などのデザインにはこだわりがあり、白色で統一、青でお店の名前が刻まれています。
頂いたお料理の味の説明などもあえてしません。是非来店され、ご自身の舌で味わって下さい。
昨晩は、オリーブ、魚(氷見漁港)、肉(鴨)、ビール、赤ワイン、コニャック、焼酎など頂きました。
焼酎は馴染みのお客さん、ご持参の日本酒のもろみ新潟・八海山から蒸留して造ったそうです。(宜有千萬)
オーナーさんは荒山さんというこだわりのある方です。(写真有り)
オーナーさんはITが嫌いで、お店のHPなどは作成していません。しかし、口コミ、その他お店紹介といったようなサイトには掲載はされております。
所在地:東京都台東区蔵前3-16-7
電話:03-3864-1611
これまで知らなかったのですが、アップルがThink Differentというコマーシャルを継続的に出しています。Twitterで、知り合いの方が教えてくれました。
これが日本語テロップ付きの古いもの。
次が偶然でしょうか、2011年版で、スチーブジョブスが亡くなる前にリリースされたもの(8月下旬)で、英語原文のままです。終わりが、スティーブ、元気になってくれと締められています。
こういったアップル社の斬新な啓発に触発されて、YouTubeでは個人の方がそれなりの視点で作成されたと思われる個人的Think Different の提案が一杯あります。
Steve Jobs氏が御逝去されてから、私は彼のスピーチ映像を聴くことが増え、何だかnative Englishのトレーニング機会が増えてきた。そうですね、この歳になってもブラッシュアップというところです。違った事を考えるだけでなく、それを実行してみて、初めて達成感、満足感を得られると思います。
今の半導体型太陽電池に変わる画期的なエネルギー源と話題になっている新型太陽光発電の話
以下のphysorgという出典先(英文)にミシガン大のランド先生の話が紹介されています。
http://www.physorg.com/news/2011-04-solar-power-cells-hidden-magnetic.html
強引に説明しますと、ファイバー状の透明なガラスあるいはセラミックスに非常に強い光を通すと、光の波の電界でなく直行している磁場が物質内の電気双極子(ダイポール、C型回りという表現をしており、右回り、左回りと考えるとスピン対の事を言っているのかもしれません)を誘起し、それが電圧を発生するので半導体を使わなくとも、太陽のエネルギーの10%位の発電が得られると書かれています。要はこれまであまり注目してこなかった、光の波としての電界成分でなく磁界成分が1億倍も強い効果を持つことを発見したことによる。
光の強度については、平方cm当たり1000万ワット(W)レベルが必要とあり、私が計算しました現在の光ファイバー通信で使われている最も強い光、100平方ミクロンメータ(大口径シングルモードファイバーの有効断面積)当たり、100mW レベルと比較すると、約10倍程度のものが必要となります。そのレベルは通信でなく、ファイバーレーザという実在している先端装置で可能なレベルです。
記事によると恐らくそのレーザを使って、今年の夏ごろに原理実験をすると書かれています。現象はレーザ光のように位相がそろったコヒーレント光でなく、不揃いのインコヒーレントな太陽光でも効果があるということです。
太陽光をレンズや反射鏡で集光し、そのビームをファイバー状のコア中へ導かなければならないとエンジニアリング的課題もあります。半導体は不要とありますが、漠然とした表現だが、ある種の対称性を持つ結晶材料に見出されていた効果が、ある条件下では他の材料でも機能するということです。ガラスでは結晶の対称性などはありませんが、セラミックスでは小さな結晶の集合体なのでどんな材料が最適なのか分ると思います。それら材料を精製、製造することは半導体型太陽電池と同じ難易度になってしまうかがカギとも思えます。
今のシリコン半導体太陽電池から得られる直流エネルギーでなく、光というのは200テラヘルツという超高周波帯の電磁波で、得られるエネルギーはテラヘルツレベルの交流電源(輻射)と書かれています。
参考資料:
これがJournal of Applied Physicsに投稿したという論文の概要です。
http://jap.aip.org/resource/1/japiau/v109/i6/p064903_s1?isAuthorized=no
Rand氏の大学の研究室のHP