夢のある話

日本でも月を目指す宇宙飛行士の人選の結果が話題になっている。
本当に夢のあるわくわくする話である。人生100年と言われる現代でも、よく考えるとそうたびたびある夢のある話ではない。それも、応募された志高き人、夢をかなえようと幼き頃に心に決めた多くの中で、再チャレンジの一番高齢(といっても40半ば)の男性と20歳代の女性の2名が夢を叶えようとする一番札を抑えた。

米国が約53年もの前に月面に初めてブーツの足跡を付けたのだ。
技術をかじった事のある人間にとって50余年も前の未熟な技術で、今考えると能く月に行こうと、恐ろしい程の夢を持ったものだ。しかし誰しも数十年先の技術向上は決して否定はしないがそれがどれ程の高度化を達成出来ているのかも未知であって、数十年待って安心して夢を叶える行動を取っても意味がないのは明白で、今挑戦することに意味があるのである。

しかし、今年70歳になる自分が学生の頃、ちょうど大学院を目指して研究室に所属した時期に、日本では放射光リング(今は筑波研究学園都市に加えスプリング8という関西にある放射光リングの呼称が有名になり)が夢でその実現に向かって、装置開発グループや私のいた研究室は放射光と言ってもX線レベルの電磁波で、ある種の高強度のX線が得られたとしてどのような実験が出来るかというテーマを研究し始めていた。後年になって夢はかなえられてしまったのだが、真空の導管中を電子ビームを光の速度の近くまで加速させ、その電子ビームを磁場で少し曲げると、接線方向に放射光が発散し、それを応用しようとするものである。

大学院を卒業して、そんな放射光をも忘れて、現在のインターネットのベースとなっている光通信事業の開拓に夢中になっていた時、ある種のデータのわずかな差異に、、、それはかっこ良く言えば、品質問題、quality management, quality control of product performance specification問題に遭遇し、その現象は6シグマ運動や高度な統計数学が関わるものであった。
こう言った「がちがち」の数学が関わるものは時代によらず必要なのだが、感覚的には昭和から平成への時代感覚で、話を戻すと公開された月を目指す宇宙飛行士の選考過程で見られた内容は平成から令和の時代に必要なグループで人が仕事を成し遂げようとする際に要求されるコミュニケーション・リーダーシップに焦点が当てられていたようだ。さらに、科学者・エンジニアのような高度な専門職的作業は出来て当たり前、その先の火星探査への片道切符とか死に直面するような宇宙飛行士の人としての振る舞い、他人との関係性の取り方、ただリーダとして強引に他人を引っ張るだけではない姿、人物像を評価して見たいという意向が感じられた。

話を昭和から平成の時代にもどすと、私が関わった高度な統計数学が関わる光通信ネットワークの事例の話をして見たい。当時の日本と米国を結ぶような世界で一番長距離の大陸間海底光伝送では予め光が伝搬する光ファイバーのコアの部分の光屈折率を例えば9000㎞の長さ方向に渡って調整しておかなければならないのである。それは、単に標準的な製品仕様値(平均値+/-δ)を満足しているだけでは不十分で、9000㎞長の経路毎に例えば始めの50㎞は1.4650で次の50kmは1.4654というように長手方向の変動に関する値を管理制御すること、実際には光信号が伝搬する際の遅延時間を表記する光屈折率の波長分散という性能に関わる仕様のお化けみたいなものがある。

当時、米国の大手計測機器メーカーのものを使って計測するのが業界的標準になっており、私はもの作りのメーカ側の立場で製品検査を、お客様も値の張る米国製の計測器を購入し、受入検査をされていた。私が勤務していた米国メーカと顧客企業とで取り交わした仕様値を満足しており、受け入れ合格なのであるが、当時、私は技術責任者としてその膨大な品質データを検証していた。
何かがある? という疑問であった。

光ファイバーは石英ガラスから作られているが、その屈折率は空気中と真空中とでは値が0.03%にも満たない程度であるが、差異があるのである。起因は光の伝搬速度を真空中の値を1とすると空気中では0.03%程度遅いことにある。僅か1000分の0.3、ppm表示だと300ppm。そうなんです、検査時の基準を真空中の値、空気中の値とするかが両者で異なっていたことに起因して、データの分布図をメーカの出荷時と顧客の受け入れ時の値とを比較すると、一つのピークを持ったガウス曲線というよりも2つのずれたピークを持つガウス曲線としてみた方がいいのではないかという私が何かがある?と言った疑問が解けたのである。

こんな僅かな事も私にとっては当時夢のような話で、本社の製造部門だけでなく、開発・品質管理や顧客技術支援部門、その他多くの人達を巻き込み、課題・対策の情報共有が出来たというあたり前と言ってしまえばそうであるが、あたり前の簡単なことが認識出来ずに、月さらに火星探査へと連なる「かぐや姫の夢」を壊したくないのです。

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This header photo was taken by myself, when I have participated 2014 Photonics West at SF, CA. After completion of conference, I took my favorite bay cruise and got to shot the eight slopes in town of SF from bay side.

サブタイトル:さがしもの

 目が疲れた、指先も疲れたなという声にもならない終わりだった。それはある日の夕方のことで、今は4-5時間経って、あるTV番組を見終わって、70歳になった歌手の人生みたいな内容で、以前呟いた小椋佳さんが苦労して歌詞を考案する方法とは違ったやり方で歌詞を紡ぎ、作曲もする方のやはり苦労話に気が行ってしまったのである。その歌手は10代半ばで上京し、挫折の度に長崎という自分の故郷へ逃げ帰ったそうだ。私など、工場勤めの父の会社の横浜にあった社宅に生まれてから6年間、その後神奈川県の近郊に引っ越しそこに12年、東京の大学に入って大学近在で2か所下宿を変え、そのまま結婚したので棲みかも都内で、帰る故郷と言える町などはないなと、横道にそれた想いになった。
 何故そんなに疲れたのかという理由についてお話するのが本流である。サラリーマンを早期に辞め自営業になって、早17年を過ぎようとしている。それからブログを書き始めて、そのブログのトップページの写真を変えようと決めて、そうだ2016年に海外出張へ行って報告書を書いた資料のトップページで使ったある写真を探しはじめていたのである。結果を先に言うと、さがしものの写真は見つかったのであるが、そのプロセスは壮大で、デジカメ写真の画像を何枚、いや1000枚以上になったかもしれないのであった。
 探そうとしている写真はサンフランシスコSFの急坂の道で、それもbay側から見たもので、近くの港から出船する好きなクルージングの船から眺めたものである。SFには米国系外資企業のサラリーマン時代から毎年訪れていて、自営のコンサルタントになっても、顔を出すカンファレンスの種別は若干変わっても2005年から2016年まではSFを訪れていた。毎年必ずクルージングの船に乗ったわけはないが、時間があると、ナパバレーのワイナリーツアーかこのSFの急坂が平行に8本も並んで見えるクルージングに出かけていたのだ。始めの頃はただSFには急坂が多く、サラリーマンがスケボーを蹴ってオフィスに行く様子などがフィーチャーされていた。自分でも、クルージングで始めから8本もの急坂が綺麗に平行に並んで存在し、それをフレームに収められるとは想ってもいなかった。実際、4本だけ急坂が並んでいて、その4本の組み合わせも撮った写真によりまちまちであった。
 最初の早とちりは、2016年のカンファレンス報告書だったので、2016年のデジカメフォルダーを見分したのだが、見当たらなかったのである。そこで、過去の年度のフォルダーも探したのだが、見当たらなかったのである。そうだ、その頃はデジカメの性能が急速に向上し、機種も一番古かった国産のN社のものからS社の機種へ、更にS社の機種で安価で使いやすいレンズ系のF値がやや大きい自分でS500と呼んでいる3台をある時期混在して使っていたことを思い出した。現在はS500を自分で、Sは家内が使っている事にはなっているが、皆さんと同じように、性能が格段と良いスマートフォンのカメラ機能に頼っている。

そんなこんなで、結局2014年のフォルダーにそのものは鎮座していたのである。何年にも渡りSFの急坂に向けてシャッターが押されていたが、8本も綺麗に並んで撮れていたのは実は1枚で、4本であったり、bayクルージングは私が個人的に興味を持っている8本の坂のことなどお構いなしに、都合の良い所でゆっくりと進んでくれることもなく、陸からの距離も私の頭の中のベストショットのポジホンに関係なく、行きかっていたので、ただボーッと遠目に丘が見えるだけだった。
  偶には私のとりとめのない、ストーリーのない独り言に、お付き合い頂いたことに、有難うと申し上げたい。SFはこの8本の急坂が仕事上での私の故郷と主張しているのかなと想った。

令和5年2月記す

感動は短くても 自分に正直に ありのままに

先日、令和四年十一月初旬の深夜、ケーブルテレビで世界最大の映画市場をもつ印度映画が流れていて、始めはチラ見程度の気持ちであった。しかし、ストーリーが、印度初の火星探査機の挑戦、それも米国や露が先行して、我が印度などは確率的に米国・露に勝てる確率は0.00・・・ 1%, コンマ以下の”ゼロ”がいくつあったのかも画面がさっと変わり、分からない位、不可能だと場面的には印度自国の政府機関の役人が大声を上げている。
そんな場面で、その初の火星探査機プロジェクトを成功させたいという壮大な希望を持つ女性科学者が、次の様な具体的な事、実際の数値計算解析結果に基づく説明をしだす辺たりから、私は虜になったように、見入ってしまったのである。

思い出すと、日本の第1回目のはやぶさプロジェクトで度重なるエンジン故障で行った軌道修正。これは技術的には燃料を最少にして、地球や月、金星などの大きな質量のある惑星・衛星の重力を使うスウィングバイ方法を何回も重ね、先ず火星探査機を地球の重力圏から脱出させる、その説明過程で素人の役人や予算を握る政治家に対して、分かりやすくヨーヨーを使った若者のプレイで解説;以下に私の経験も重ねて記す。

私は中学生の時、ラジコン部に入っていて、ほぼ同心円状に操縦訓練のために飛ばすワイヤー付きの小型のエンジン飛行機があって、これは彼らが用いたヨーヨーと同じだなと思った。円の中心で、かなりの力で接線方向に飛んでいこうとする飛行機を抑え引っ張っている自分がいる。ヨーヨーだと紐の長さをヨーヨー球を投げる力で変えられるので、徐々に力を大きくして行き、最後は紐が切れる位の力で地球の重力圏を脱出させるというモデルの説明とした。

ストーリーでは、火星と地球の最接近日が決まっており、その何か月前に探査機を打ち上げられるようにと、政治判断でなけなしの予算50億ルピーで火星探査機の開発を進めよという事になった。実際、1ルピーは2円ちょっとで、総予算は100億円という非常に厳しい額であることはこの映画の出演者の表情で分かる。

私が感動したのはここからで、開発スタッフと中心の女性科学者の家族(古めかしい日本でいう昭和の臭いのする夫と現代風の飛んでいるハイスクルー生位の娘)の人模様。

科学者の女性はスタッフに対して、予算が削られたので打ち上げる探査機の重量をxxxxkgに減らせとストレートに言う、機材は減らせないとスタッフが食って掛かると燃料はどくらい減らせるかと問うと若手女性スタッフが反応する。お母さん科学者は次々に誰だれは何んとか責任者と無駄なく素早く指示している。印度は英国の植民地だったので、話す英語だけでなく文化も欧米化しており、スタッフの事務所の定刻の終業時間になるとみな家路に急ごうと、事務所は彼女を除いて空となってしまう。そこで、彼女も家に帰ることにした。

家に帰ると、昭和の臭いのする夫と飛んでいる娘の方を持つ母親の科学者が、娘が楽しんでいるダンスホール、クラブ、ディスコと言ったどの呼び名が適当か、私にはこだわりはないが、要は夫婦が乗り込んだのである。さて、何が起きるであろうか、先ず、母親科学者は娘と同様なモダンなダンスに興じる、おやじはニヤニヤと女性が多いホールを眺めていたが、少し間をおいて、妻に諭されたように私は感じたのだが、踊りだしたのである。それが、モダンなダンスだったらこの独り言は呟くことは無かったが、動きがモダンダンスよりももっと強烈で、それをリードする音楽も現代風からぐっと離れた印度の伝統的なもので、日本で言うと昭和の臭いのする古めかしい夫、おやじが、身体をくねらす動き、伝統的印度ミュージックの両方がスピーディーな踊りを、彼の偽りのない正直で、ありのままの自分をさらけ出したのである。

ホールは喝采となったが、その後をしるすことは本意でなく、科学者のお母さん、妻は、なぜ私がサイエンスの道を選んだのかというくだりになって、小さい時にスターウォーズの映画(初作品は1977年)を観て感動したんですよ、という処で私は十分満足して深夜番組のスイッチを切った。

見えないスポットライトを浴びる

令和4年9月22日深夜番組を見ていたら、夏の甲子園・高校野球、仙台育英高校が初めて優勝旗を勿来の関を越えさせた努力はいかにというような、注目を得ようとする流れであった。

これまで、東北地方や北海道の高校が野球の甲子園で活躍して、それなりの結果を残すと、それは所謂都市部にある中学の野球経験を積んだ生徒が親元を離れ高校留学をして、地方の地元出身の生徒が極めて少ないチームが編成されたことが大きな要因だと評判となる。しかし、地方の余裕のある学校が増えると、そういった学校同士の競争となり、そうそう特定な地方の高校も甲子園では優勝するのも辛い状況となる。野球以外のスポーツ種目でも、個人競技種目でも高校留学はあたりまえのこととなっているのが実情である。そこで、スポーツという世界、同じルール条件で競争するには、いい選手・いい指導者(監督・コーチ・支援スタッフ)が必要という話となる。時には指導者達の行き過ぎた熱血指導が問題となることも多々世間を賑わす。

今年、令和四年夏の甲子園を制した宮城県の高校では、優勝監督のデータに基づく選手の管理育成 組織論とマネージメントというコンサル事業のキーワードや私が見た他のスポーツとの類似性に少し触れたい。

そのTV番組のコメンテータは過去のトップ選手ばかりで宮城の高校の優勝監督は野球経験ありだが、補欠にもなれない、18名のベンチ入りも出来ない3流と言っていたが、スポットライトも当たらない選手の心を理解し、どう工夫すれば自己改革ができるかを理解し、それを実現して行こう、く若い子供を現代風DXとデータの見える化を行い初の優勝へ導いたストーリー>と言えるタイトルがぴったりな内容であった。元高校球児、プロの有名投手を経て監督などを務めたA氏は所謂、スポットライトを浴びた側の人間、野球界では限られた一人のスタープレヤーからなる選手投手から構成された古い型のチーム構成でマネージメントをして来た方ではあるが、新しい時代に即した新しいマネージメント手法に共感していた。陸上競技のトップランナーでオリンピック、世界選手権にも出場し、小さい時から常にトップの位置を占め、野球とは異なった一匹野郎的な個人T氏であったが、T氏自身、スポットライトを浴びていたので、当時はそこまで理解しようとも思わなかったようだが、この仙台育英の監督の新しい選手育成能力引き出し法ともいえる手法に共感していた。

私は呟いた、見えないスポットライトというのもあるのかも知れない。最近のグループを主にする歌謡ショーでは踊り振付が優先し、歌唱力は二の次、暗闇のステージにかなりの人数の煌びやかな衣装をまとった若い人たちがパッと浴びるスポットライトはもう一筋でなく、何筋もあり、その筋はどんどん速い動きに合わせて行ってしまい、過去の直立不動の演歌歌手が本当の明るいスポットライトを浴びている様とは全然変わってしまっている。

新しい組織論、マネージメント手法、分担型能力育成、人材の満足度を高めるリーダの存在とお互いの信頼というキーワードを思いついた。例えば、エース級の投手を3人育成し、予選決勝トーナメントを戦う中で単に疲労分散だけでなく、選手の性格、当然ポジションとして要求される機能面も少しずつ異なった面を持ち合わせるように育成することであろう。野球よりチーム人数が多いサッカー、ラグビー、そしてアメフト(American Football) のルールを読み直して、試合当日ベンチ入りできる人数、交代要員、再出場の可否について調べた。数字を上げる前に当然分かることだがこれらはそれぞれのポジションの選手(組織論で言えば異なった階層的役割を持つ人材の育成は違う)の育成練習方法と結果を出した自己の評価も違う事になる。


種目  試合出場人数 ベンチ入り人数   交代可能人数   再出場の可否

野球    9        18        自由        No

サッカー  11        18       (3)        No

ラグビー   15       22        (7)        No

アメフト    11       45      自由     可能 何人でも

アマチュアの選手以上にプロ選手の世界では、このような大勢の選手からなるチームの場合の個々の選手の評価が難しい。野球の場合、攻めと守りで大きく違う選手の評価、野手は攻めの打ちで評価され、投手は守り(私は投手の攻めと思う)の投げで評価されるので、一種の団体戦のように思われるが、個人の打点(打率やホーム数)や勝ち数(奪三振数や自責点)で評価されてしまう。

最後にアメフトのルールは究極で、ベンチに大勢が待ち受け、頻繁に交代があり、再プレーも出来て、スポーツ以上の組織運営論へ話が飛びそうになる。アリの大きな集団では働きアリの2割は何もしていないのだそうだ。始めから休憩してスポットライトが当たっていないのではなく、見えないスポトライトが当たっており、それで指図を受けているような如くに振舞っているのではないかと思うのである。

ある意味では幸せな人生

令和四年四月に入って築百年以上と言われている平屋建ての「離れ」 からなる宿に泊まる機会があった。もともと西武系の企業が所有していたらしく、庭の手入れも行き届いて芝や木々も山間の地形に相応しく、昔流に言うと湯治にゆっくり日にちも数えずに休んで、楽しみたいという処であった。
  さて、ここからが舞台の幕開けで、その離れ宿に入りますと、玄関の引き戸の鍵が真新しくはなっているのだが、方式は古いものであった。畳敷きの二間の空間は全て襖で仕切られている。私の背丈は180㎝はないが、立ったままだと四畳位の玄関へ連なる小部屋と大部屋を仕切っている襖の取っ手に自分の手が届かない位低い所にあるのだ。そうだ、無作法に立ったままで襖の開け閉めをしてはいけないので、一度跪いて座るように腰を下げるとぴったりの高さに設計されているのだ。 次の大広間を見ると本当にただの畳敷きの部屋で椅子などはない。さすがに和風の卓机と座る時の背もたれは用意されていた。部屋の見分として、玄関から部屋に向かわずに板張りの廊下を左に行くとトイレ(便所、厠、御不浄等々の名称があるがあえてトイレと言葉を使った)があり、和風の板張りの空間で結構広く便器は流石に現代風のウォシュレット付きのものであったが、手を洗う水道は蛇口でなく、吊り下げ式ブリキ桶で下にあるネジを捻るとお水が適量流れ出てくる手水鉢のようなものを再現した古い仕掛けのものが残されていた。今回の宿でこれが私には一番気に入った。さらに一~二歩先は風呂場で脱衣所と浴室(洗い場と湯舟)になるわけだが、湯舟は石造りで温泉の源泉がゆっくりと出てくる。決して広くはないが百年前の日本人規格には十分であったと思う。
  私はこの数年来腰痛と坐骨神経痛に悩まされ、久しぶりに東京から近い温泉場に浸かりに来た訳だが一番の大敵は中腰状態で、それを避けるには立ったままの方が楽で、加えて椅子に座れば比較的普通の状態で維持できる。その離れの造りは鴨居も低く私が立ったままで手を少し伸ばせば簡単に掴まれる位である。

さて、庭を散策しようと玄関に向かうと靴を履こうとして靴ベラを探した。無いようだと思い、一瞬腰を曲げようとしたら白い長さの短いプラスチック状のものがあり、それが靴ベラであった。普段自宅では柄の長いほゞ立ったままで使える靴ベラを使っているので無意識に柄の短い靴ベラという概念が消え去っていたのだ。百年以上も前にこの離れでお客人を接待もてなしていたであろう小柄な日本人は何の不自由もなく、立ったり座ったりして、ふすまを開け・閉め、お出かけのお客人も玄関先に座って柄の短い靴ベラで十分な健康人であったに違いないと信じている。それに比べ、むやみに体格が良くなった現代人は胡坐をかいて畳に坐ること・こじんまりとした椅子に腰かけることや低いテーブル・洗面台の前にして中途半端な角度に腰を曲げたり、腰痛を発生させる機会が多いと感じているが、そうかと言って、大きな椅子、サイズを大きくしたテーブルや洗面台は規格品でそう容易く規格変更も出来ない。
  約百年前の日本人の寿命は42-43歳、偶然にも1920年に第一回の国勢調査が行われ正確なデータが残っている。体格・背丈はと調べると、当時の二十歳の男女で160-150㎝、40歳代の大人は150-140㎝台半ばでさらに小柄で、日本人が縄文・弥生・古代・近世時代と変遷する間で一番小柄だったという江戸時代を引きずっているように思われる。最近の寿命は女性で八十歳の後半に入っているようだが健康寿命は平均して十年は短い。という事はその十年間は如何様な状態なのかという事を議論する必要があろう。老いが迫り、認知能力も体力・機能低下も同時に起きてくればこれは単に病を治療することではなく、痛み・苦しみ・悲しみ等々との対峙である。人生五十年、還暦(六十歳)を迎えられることが最大のお祝い事だった時代に生きた人々は他の感染等の疾患には相当悩んだにはちがいないが、現代の高齢者が遭遇する十年以上の*torture も無く、高度成長期にイケイケどんどんと満身創痍で家庭を顧みず仕事だけに立ち向かい、ストレス多き環境を経験した世代にとってそのtortureが二度目の長きストレスになることにも関係無く、ある意味では短くとも幸せな人生を過ごせたのではないかと思った次第である。

*torture, 長らく米系外資系企業に勤務していた時に本社のマネージャが日本人相手の仕事は torture だよと度々言っていたことを思い出して引用した言葉である。辞書的意味 ; 拷問、罰、もともと捻られる捩じられるという責め。

自宅で出来る仮想体験 – 宇宙シアター

以前約9年前、三鷹の国立天文台の施設で4次元宇宙シアター体験(4D2Uドームシアター)が出来たことを書いた。簡単に言うとこれまでの宇宙天体観測で人類が知り得た全ての星、銀河の空間情報をコンピュータに取り込み、地球から飛び立った宇宙船に乗った様子が3Dシアターで楽しめる仕掛けである。先ず、太陽系から脱出、途中には小惑星帯、冥王星より外のオルト帯も離れ、われらの天の川銀河系(我々の太陽系は比較的外側の腕の所に位置している)から脱出、宇宙誕生から130億年の全容が見られる遠方まで宇宙船が進む。途中では銀河系が一様に分散分布しておらず、局部的に存在しそれが網目状になっている様子も分る。我々人類にとって調べることが出来ない宇宙領域もある。それは我々の銀河、天の川があまりにも明るく、天の川銀河の断面方向から見る先の宇宙が途中に存在するガスの吸収などで見えないことである。

このような仮想体験がクラウドで自宅のパソコンで可能であることを最近(令和4年1月21日)知ったのである。天体の観測データの蓄積とIT関連の技術革新;ネットワークの速度、デバイス、ハードウェアー、ソフトウェア―等々が僅か十余年で進み、YouTubeで The eBOSS 3D map of the Universe をキーワード検索して頂ければ視聴できます。

Hyper scale Data Center の市場規模

最近、hyperscale DCが世界で700か所も稼働していて、約半分が北米(米国)にあるという。アジアの中国には世界の15%(数)が稼働している。昨今のDCの稼働数の伸びよりも、DCとしての機能(サービス提供や速度)はhyperscale化しており、機能・容量としての伸び・成長はさらに大きい。

主要米国の企業はAmazon,Microsoft, Google とIBMでそれぞれ60か所以上で稼働しており、機能・容量の面でいうとFacebookが加わるという。詳しくは、オリジナルを参照して下さい。

Report: Almost half of global hyperscale data center capacity resides in U.S. | Cabling Installation & Maintenance

20年前のノート

四月一日、年度末の仕事や確定申告も済んだので、書類をまとめ書棚のだいたい決めた場所に差し込んでいたら、上から四段目の一番右端で普段は物陰になって何が差し込んであるのか分からないところにあったノートを取り出すと、二十年前の2001年が書き初めで、サラリーマンを早期退職する2004年の年末の直前までに、私が仕事上や普段の事で、気になった事や将来に向けた少し科学的な構想を手書きでメモした汚い自分のペン字が見えた。

恐らく、皆さんと同じく初めの一頁目は綺麗な字で書き始めて、そのうち、自分で書いた字を判読するのに難儀するようなページが続いた。おかしなもので、書いたページが時系列になっておらず、長い空白のページが途中に居座っている所などあり、今日の令和三年四月一日エイプリルフールの日にこのノートを見つけたと差し込みたい位である。

書き方は、日付とメモのタイトルで、幾つか気になったものを列挙する形式で、箇条書きや少しまとまった文章で書いたものが混在しており、その時々の頭の中の思考形態を反映していたかもしれない。次に全部ではないが、それらを示す。

  • 大学時代、研究室で指導を受けた助手の方(年代的には既に某国立大の教授)の科学的自論
  • 法隆寺の五重塔の心柱と各層の組み合わせの耐震構造(壊れない程度にずれる歪む)と自分のコメント
  • 消費・インフラ分析と各利用製品の耐用年数
  • 学会で講演会を聴講したまとめたメモ(業務上であり詳細は省く)
  • JRの列車乗車中にメモしたと注意書きのある、図解の古代、百済、新羅、高句麗出自の日本列島への移民となぜ、東国からわざわざ遠路西国の警備に防人があてられたのか
  • サラリーマン時代にコンサル講座を受けた関連の講演会メモやコンサル研修仲間との談話
  • 自分で考えた将来へ向けた安定健全な投資行動について(低金利時代に入るので高配当株がいいとか)
  • セラミックスの破壊モデルに基づく地震予知(破壊初期時にピエゾ電気効果と超音波が発生する)
  • 2001年に書き留めたこれからのIT時代に向かう姿勢(トラフィックが一万倍になる年数とか)
  • 当時の仕事に関係した通信ネットワークや光海底ケーブルについて
  • 自分のブログのネタ記事(複数ある)
  • 今後の労働環境と日本の強み向上(人材育成が重要)
  • 地元東京北区瀧野川地域、主に神社仏閣を探索した際のメモ(当時まだデジカメの性能が低かった)

それらの中で、2003年に東北大で開催された情報通信関係の学会の個別専門分野の学会講演発表の詳しいメモに交じって、当時普通の学部卒で若くして前年2002年のノーベル化学賞を受賞された民間企業の田中耕一氏(会場の東北大学工学部ご出身)の特別講演(三月十三日)のメモ書きもkey words と付記され、赤字で綺麗に残っていた。以下、具体的に私がメモったものをそのまま紹介する。

☆細かな技術論は別にして
  新鮮さの維持が大切     
  時にはテーマ・仕事を変えよう    
・門外漢の新鮮さ    
・過去に取らわれない、既成事実にそくばくされない  
 0を 1にする発明、努力
 1 ~を100、1000に改良、改善する努力

定かでないのだが、これら赤字のメモは田中さんが話された言葉そのものだったのか、仰った内容を私が咀嚼したものだったのか?やはりノーベル賞研究者の苦しみが分かるのは、何と言っても0を1にする発明発見であろう。1を100にする努力と比べてもその比は無限に大なるものである。(注;当時外資系企業勤務で英語ばかりで日本語力が落ち、下線を付したように誤字や平仮名のままの部分があった) 

私は日記を書かないが頭の片隅には覚えておく癖をつけている。最近では齢のせいか備忘録としてパソコンのエクセルファイルに地域活動の支援メモを何かを行った日だけ残している。それだけでも非常に助かっている。複数の人達と運営している活動では、文書化していないものも多く、誰が決めたのか、俺は知らない・聞いていないということも多く、幸い大きなトラブルに至った事はなかった。

20年前のノートのように身近に隠れていそうな玉手箱を探されては如何でしょうか。

リフォーム前の壁掛け作品

令和になって、5月の連休後に、築30年を向える我が家のリビングとキッチンスペースの大リフォーム工事が始まった。2月頃から業者と打ち合わせを開始し、これからは30歳をとうに過ぎた子供達が使うので、子供達の好み要望を沢山出してもらい、それに合わせて業者からの提案を受け、煮詰めて最終案となった。どちらかというと私の願望は抑えた。わざわざ大阪にいる二男は建築科出身ということもあって東京の打合わせに顔を出し、業者もメールで二男へ回答などもくれていた。二男は予算の金額には目もくれず、良いものや改造案をどんどん出していく性格だ。娘もキッチンのシステム化や対面式・オープン化でどしどし母親を押していく。長男夫婦は綺麗好きで、食洗機は勿論、配置でも物を出来るだけ置かないようにシンプル派だ。

個性と性格が出て当たり前、システムキッチンのショールーム見学へはお嫁さんや娘は勿論、二男は結構業者に食らいついたようだ。私も同行したが、皆が気に入る環境作りが出来れば善しとした。最後の詰めは家内と娘が行き、キッチンの色をもっと明るく白っぽくしてきて、少し予算額を下げた。

普通、新しく仕上がった壁紙の壁には写真の1枚や2枚、絵画の1枚や2枚位、別に骨董的価値に問わず、飾りたくなるものだが、今回のリフォームの約束は一切何も壁には掛けないと決めたのである。時を知る時計もない。

実はリフォーム前はご多分にもれず、どこの家庭でも見られる光景のように子供が小さい頃から撮った写真を大きくしてフレームに入れ、壁に吊るしておいたのだ。枚数は定かでないが、娘が3才頃初めて料理をしてサラダを作った、東京に大雪が降り雪を掻き集め“かまくら”をやっとのことで作り上げ、小さな子供が2人入れる小さな穴が鎮座、子供の剣道、体操姿、京都の修学旅行、一番成長したもので次男の高校の入学式でなぜだか止まった。それらの中で白黒の作品2つだけ違っていた。1枚は私が学生時代(1975年)に北海道(道東)野付半島近くの尾岱沼で冬撮影した白鳥と、もう一つは30年前の新築祝いで家内の知り合いから頂いた銅版版画(エッチング)である。

私の冬の凍った湖と数羽の白鳥よりも、頂いたエッチングの主(学校の美術系の先生と伺っていたが作家と呼んでおこう)が気になった。私は一度もお会いしたことのない作家さん(家内の知り合いの女性の旦那さん;年齢的に定年退職され、数年前都内よりご出身地の方へ戻られている)であるが、エッチング作品に残されているアルファベットの署名で調べると著名な方と分かった。xxx展覧会の審査員を務めていらっしゃる。人の顔をデフォルメした当時お祝いで頂いた作品(木霊Xと題されている)から進化転化され、写真と間違えそうな位、繊細で緻密な森の木々を描いた作品はインターネットで紹介されていた。ご出身の群馬の山奥か、私の記憶を辿ると上高地の沢沿いのまだ樹木が残って枝落ちし、それが朽ちかける経過のように凄い年数を思わせる作品だ。私には寂しげだが長い長い静かな生命を感じた。

なぜ、30年前の当時このような作品を頂いた由縁を考えると、ご両親のお仕事の関係で子供さん達を朝早く保育園に連れて行くことが出来ず、家内が代わって知り合い(地元の学校の同級生同士)のお子さん達を連れて行ってあげていたのだ。当時は待機児童という言葉もなく、近所で協力していたのだ。家内も仕事をしていたが朝、時間の余裕は少しあったようだ。インターネットで、作家さんご夫妻が昨年、〜木と水と土と〜 と題して二人展を開催されていたこと知り、お子様たちも親の手から離れたのだろうと安堵した気持ちになった。まさに森の木とせせらぎの水、土とは奥様の陶芸家としての粘土だと私の独り言となった。

令和元年7月2日記す