高い<チンパンジー>の知性とは

4年前のメモより。2006年09月06日読売新聞の記事を引用させて頂く。

またまたチンパンジーの優秀さに関する記事、今度はちょっと違う。「互いに助け合って危険に対処するという高い知性のあらわれ」とコメントされている。これを高い<チンパンジー>の知性とすると、そのまま拡大解釈して、人の高い知性と簡単に言えるだろうか。

これは人間である我々が忘れがち?というより忘れてしまっている大事なこと。組織や団体、群れになって行動、生活している時にもっとも必要な事。

危険とは、外敵に襲われることだけでなく、内部組織、自分の属する内部社会に隠れている。すでに顕在化してきているものもある。そのまま放置しておいてはいけない。

——————————————–

チンパンジー、序列で役割…道路横断時に先陣・見張り

 チンパンジーが道路を渡る際、先陣、見張りなど役割分担しながら危険を回避していることが、京都大霊長類研究所(愛知県犬山市)の松沢哲郎所長(霊長類学)らの調査でわかった。

 群れの第1位のオスがしんがりを務めるケースが多いなど、役割は序列で決まることも判明。「互いに助け合って危険に対処するという高い知性のあらわれ」としており、米生物学誌「カレント・バイオロジー」の最新号で発表した。

 松沢所長らは、西アフリカ・ギニア東南部の森に住む大人のオス3頭、メス5頭、子ども4頭の群れを対象に調査。すみかの森を分断する幅12メートルと3メートルの2本の道を渡る様子をビデオで収録し、分析した。

 その結果、まず道に出て様子をうかがう「偵察」、最初に渡る「先陣」、途中で立ち止まって群れの通過を見守る「見張り」、最後尾の「しんがり」の役割があることを突き止めた。

 偵察や先陣は第2位のオス、しんがりは第1位のオスの場合が多く、明確な役割分担が確認された。また、歩行者しか通らない狭い道では、偵察がそのまま先陣として渡るのに対し、広い道では、偵察役とは別の第3位のオスなどが先陣を務める頻度が高く、危険度に合わせて行動していた。

 松沢所長は「互いの意図を見抜いて行動していることがうかがえる。力を合わせて危険に対処できるのは、人間以外はチンパンジーしかいない」としている。

(2006年9月6日3時4分 読売新聞)

意図的な暇も必要

巷はお盆休みになろうとしていますが、8月に入って、何かとやる事(地域イベントの準備や地元の祭り)、出かける事(先日栃木の花火まで観てきました)が多く、バタバタしています。おまけにコンサルの仕事もスケジュールが一杯(お盆明けに締め切りとか、8月末締め切りとか)です。

こんな日本の状況で本当に不況と言うのでしょうか。何か、各人が無意識の中で忙しく立ち回り、それも自分が動いて仕事をしたら、きちんと正当な対価を請求したり、人から何か支援やサービスを受けたりしたら、有難う様で済ませず正当な対価を支払うという意識が薄れているように思います。

物々交換や目に見えない資産(intangible asset)の交換で経済流通を過小化し、自らデフレに加担しているかもしれない事を意識しておらず、この様な状態から抜け出したいと大方の方が、気が付けば何か解がありそうです。

少し意図的に暇になって、健全な思考を取り戻したいと算段しています。こんな夏でいいのでしょうか。

なかなか見られない宮出し準備光景

打ち上げ前の花火玉が観覧場所から遠く離れてセットされている

花火打ち上げ前の川原敷と観客、まだまばらです

一瞬のチャンス

隣の部屋で人が何をしているか?

隣の会社は今年どんな事業戦略を打とうとしているのか?

全然解らないと表現したらいいのか、知らないで過ぎ去ってしまうようなことが普段の生活では多々ある。

人生も気がつかなければ平然としていられるが、分って認識していると その場を繕ったり、知らぬふりが上手く出来ない。 自分は何をなすべきかなどと畏まった態度を取ってしまう。

又、一瞬のチャンスをものに出来るのも、ある種の運があるようだ。しかし、そのある種の運を探し続ける事は出来ず、向こうから不意にやってくる。

今朝の一瞬の朝焼けを見て思った。 

今朝は大きく天候が変わる前兆。

この時間(4時44分)で朝焼けが見られた。時々刻々、色合いが変わる。

写真を撮ろうと、何枚かシャッターを押した。

西向きの部屋、満月に近い月を望む。日の出の東を望めるベランダ。

日の出の東を望む

月を頂く西を望む

過ぎ去った茜色か?この間約1分

押しているうちでも色合いが変わってしまった。

撮り損ねた一枚もあった。

その間1分間(後でデジカメの時刻表示で確かめた)。

2000年ドットコムショック

家の中には本棚が何箇所かあるが、あまり手を出さない本棚に今朝、ドットコムショックの背表紙が見えたので、手に取ってみた。2000年4月発行の大前研一氏のものだった。これくらいでは古本の類には入らないが、何せテーマがITに絡むもののライフサイクルは非常に短い。

さて、手に取ってみると、当時私が相当気になったのか、気になったページに印を付け、おまけに小さなポストイットのタグを貼り付けてあった。私がこの様に“比較的丁寧に”本をチェクすることはこれまでに非常に限られている。

さて、残しておいたタグの数は16か所であった。ページを捲っていくと、何故だか、当時全てのページを読み終えていなかった事が分った。253ページのうち216ページで止まっていたのだ。それ以上興味が沸かずに終えてしまったのか、時間がたって後で読もうとしていたのか、記憶からも離れていた。

そのタグに、メモ書きを残してあるものがあったが、2000年に発行された大前氏のものではあったが、中国に関する記載が極めて少なかった事が気になったのか、中国の記載が少ないと書き残していた。10年前の当時を考えれば、ドットコムと言えるまで中国がITインフラを進めていなかったことは事実だ。日本がファイバーツーザホームを掲げ光ファイバーのインフラ整備を始めようとしていた黎明期であった。

残しておいたタグで、当時、気になったキーワドを拾い上げていると、

  • 1番目に、中国が書かれていない(これは私の自筆)。
  • 次に、専門的なネットワークの記載説明が弱い。
  • web 1.0の世界、
  • 世界の市場をただ1社が独占する可能性がある、
  • シスコシステムズはルータの新しい市場を独り占め、
  • 今(2000年)株価の高い会社は単品商売で1つの事しか手掛けていない、
  • さくら銀行が中国にお金を貸し付け、取りっぱぐれを日本の消費者にしりぬぐいをさせている、
  • データマイニングという技術が必要になる、
  • 光ファイバーは完成には程遠い、
  • 環太平洋から離れて、アトランティック経済圏は巨大なマーケット、
  • (懐かしい)Y2K問題でインドハイテク産業は急成長、
  • 大前流2つの日本教育改革に関する私案、
  • 実学とは使用前、使用後がはっきりと分る事、
  • 死ぬまでが教育のキーワード、
  • 入学式は生まれた日で、卒業式は葬式だ。

217ページ以降、読み残してあった章は“日本は新旧交代出来るのか“というサブタイトルが付けられた章であった。当時、分らないが10年後の2010年まで待って、本当に日本が新旧交代が出来たのか、出来るはずはないと高をくくって、そのページの前で辞めてしまったのか、記憶もない。

実際、大前氏の最後の1文は、21世紀の日本は欧米企業の草刈り場と化してしまうだろう。と締めくくっていた。これは欧米でなく、新興国の中国や、EMS、OEM生産という力を付けた台湾、瀕死の重傷から立ち上がった新戦略で固めた韓国企業であることは自明で、10年先を読むことは難しいし、幾多の過程、プロセスで世界の動きなどは素早く変わってしまう可能性を認識しておきたい。ということはやり方次第で、日本のちょっと先も変えられるハズと思っている。

揺れなくとも塵が

3年前(2007年)の新潟中越沖地震の発生は7月16日、同じ中越地方で6年前(2004年)の10月にも大地震があって、その頃に書きとめていたもの。

私も20年くらい前に、日本の地震と部品供給メーカの立地条件を調べた事があった。もちろん今回の地震と関係ある。産業界は多くの材料流通経路(海外も含めて)と販売流通経路から成り立っている。 ものがあっても、市場へ運べなければ売れないし、消費者は欲しいものが使えない。

完成品を組み立てる企業工場では、分業が進みそれらの部品は内製ではなく、アライアンス、パートナー企業が生産している。其の工場は組み立て企業工場の近くの場合もあろうが、多くの場合は国内だったら賃金の安い地方、海外と分散している。一旦今回の地震のように流れが止まると、完成品が作れないのである。今回は自動車産業が大きな影響を受けている。

さて、わたしが以前手がけていた光ファイバーであるか、市場が大きいのにも関わらず、生産メーカの数は少なかった。これが意味するものは、一箇所で大量生産してコストを下げているので、工場の数も少ない。大手関連企業の多くの工場が関東一円、それも地震の多い東京周辺県々であった。これでは関東大地震が来ると、明らかに工場がストップすることは誰でもが早々出来る。やはり起こった。1980年代後半に局所的直下型地震であるメーカの工場が軽微であるが影響を受けた。

その後、生産数量が増えた時期に、各メーカは量産工場を日本各地へ分散させた。西の方面、北の方面と。具体的にはどこメーカがどこに新工場を作ったと書かないことにしておこう。リスク管理などが国策的に指導されたとも聞いている。

私は外資企業だったので、海外の工場から素早く輸入できるシステムを作った。 米国からの迅速輸出システム。これは社内システムと、飛行場までの流通システムと貿易上の通関システムも含まれている。一旦国内に輸入されると、やはり迅速な輸入通関手続きシステム、委託業務をしてくれる通関業者と配送業者との連携システムなどが含まれている。製品は物だけで納入できないので、検査成績書も書類の類も、まだコンピュータのシステムが1980年代の後半でも手作りのシステムで即納出来るように作った事を覚えている。今のインターネットが無い時代である。

地震ではないが、火山の噴火で塵が10000メートルの上空に浮遊し、ジェット機が飛行できなく、貨物が止められたことや、アンカレッジに途中着陸させられた輸入案件もあったことを思い出した。 今年の春先にもアイスランドの火山噴火で多くの飛行機が止められ、欧州だけでなくグローバルに打撃を被った。

やはり、好きな地震学者寺田寅彦が言った、地震は忘れたころにやってくるという言葉は現代流に、揺れは無くとも塵にも気を付けろと、噛締めなければならない。何か、今年は冷夏の予想もありそうだが、今朝は蒸し暑い。

傾聴へ繋がる喋り

昨今、傾聴をキーワードとして含むセミナー、研修の類が多い。言語があって、2人以上の人が寄り集まれば、誰かが話す、誰かが聞く役になり、何か意図を持った会話がそれなりに進んでいく。

ただ話をきく時は、聞くを使い、相手の気持ちをきく時は、聴くを使うという。大きな差異は相手の気持ちをきく時は必ず聴くを使うのだそうだ。しっかりと耳を傾け、心をきくという字になっている。

企業研修など、一方的に講師の話がハウツーとか、ノウハウとか覚え込む事柄のような際には、視聴者側は話を聞くより、配布された資料に目を通し、読むことに専念しがちで、ハウツーものの講義スタイルであっても、本当は講師の想いや気持ちが一杯詰まっていて、それをくみ取ることを軽視してしまうのである。

企業研修の話でも、組織論や上司と部下の関わり、提供した製品、サービスに対するお客のクレームだとすると、研修の視聴者側は聞くモードを変えてくる。自然とキーワードが人に纏わるものだと分るからである。上司は部下をどう思うか、部下は上司をどう感じているとか、技術やプロセスに関するハウツーもののセミナーと大きく異なって、知らない事を覚え込む姿勢では、人に纏わるドロドロとしそうな件については対処しずらいと、始めから取り組む態勢を変えているのである。お客のクレームは製品の不良という物に付随する事だけにフォーカスされることは稀で、電話の応対に出た社員の態度が悪るそうだとか、喋り言葉が気に食わないとか、製品の不良から完全に離れてしまって、相手の喋り方への不満に変わってしまう事が多い。そういう背景がある事を充分理解した上で、クレームの電話を取った方が始めから応対する言葉も変わってくると思う。

そのセミナーでは相手の話の内容を理解し、こうした方が良いとかのアドバイスをしてあげようという気持ちから離れて、何故相手がそんな話を受け手にしてくるのか、話の内容そのものよりも、相手の気持ち、想いに賛同、同調し、少なくとも話を喋っている相手の味方になってあげられるよ、という安心感を相手に与えられる態度、姿勢が望ましいと感じたのである。

つまり、上手な聴き役になるには、自分が喋り役になってとことんまで喋りつくし、喋ることで達成感とか満足感が得られるという体験をした方が早道の様にも思った。裏を返せば、その時の聴き役、相手がどのような“傾聴”の姿勢を取ってくれていたのかを自然に感じられればいのであろう。

文藝春秋、素晴しき日本語の世界

最近(2008年の9月頃の話)出た、文藝春秋、特集・季刊秋号、素晴しき日本語の世界 。

期待して購入したが、それ程の内容でなかった。 地方地方の訛、方言をそれぞれ其の地方の出身の著名人が、わがお国ことば讃という特集に短く寄稿したり、日本語というよりは中世、江戸時代にかけて漢語の要素を強く受けた漢文調日本語の話など、当時の一般庶民では届かないことばの“古今の名文”などの特集がある。

其の中で、小林千草;“100年目の女ことば“と題された、特集・日本語の世界というページに目が留まった。100年目というキーワードに誘われたのである。中は、夏目漱石が明治38年に発表した超有名な”我輩は猫である“の苦沙弥先生の奥さんと姪の雪江が交わす会話の原文を100年後の今の女性言葉へ置き換えたものが紹介されている。全文はこの特集(174ページ)をお読みいただきたいが、一例を上げておきます。

原文:並みですわ。御自慢程ち゛やありませんよ。あんなに御化粧をすれば大抵の人はよく見えるわ。

*この文章でも、今様に通用すると思いますが、これを実際の女子学生に変換してもらうと次のようになると紹介されています。

現代版:まあまあだよ。そんな言う程でもない。あんくらいメイク濃ければ誰だってカワイくなるよ。

“素晴しき日本語の世界”より、言葉は生き物、かくも100年足らずで歴史を語れるくらいの変遷をしたものだと感心した。私はよく引用するが、漱石は生前中に高濱虚子へ宛てた手紙の中で、100年後でも読まれる小説を書きたいと宣言していたそうだ。

このような100年後の姿は、漱石でも予想はしていなかったと思う。

点と線

点を並べると線が出来ると言う。線を無数に並べると面が出来るという。その面で何かをとり囲むと立体が出来ると言う。

実際、点を並べて、線を作ろうとしても、簡単には出来ない。数学的点と鉛筆の先のような点は違うからであり、鉛筆の先の有限な点を並べると、見掛け上の線は出来る。こんな話をいくらしても、所詮どうどうめぐりの話になってしまう恐れがある。

先日の日曜版(新聞の朝刊)に目を通していたら(字をおって読んでいたのとは違う)、何やら見覚えのある面が写真として、企業の新社長紹介みたいなコーナーに大きく写し出されていた。大手住宅建設企業の新社長さんである。

我が家も、築21年になろうとしている。21年前というと、3%の消費税が導入された年で、駆け込みだが、消費税法が施行される前に、住宅建築契約を済ませた方がいいとアドバイスされ、3%を浮かし、新築の契約をしたのだ。その住宅建築企業の新社長さんは、当時確か課長さんで、窓口の責任者であったことを思い出した。細かなことはその課長さんの部下が面倒を見てくれて、その新社長さんの名前が記憶から薄れていた。

年齢は私と同じくらいで、21年後に新社長まで登り詰められたのは、その住宅建設企業に社員が何人いたか分らないが、もちろん社長職は1つであり、21年という時間軸の2点を結んで、その新社長さんが眼前に現れたのである。

お付き合いの始まりは、偶然であり、家を新築するくらいなら、地震国日本で耐震設計をきちんとしている企業を選びたかった。偶々、私の勤め先に近かったその企業の営業所に昼休みに出かけ、応対してくれた方が当時の課長さんであったのである。

ここでの話だが、住宅会社や証券会社の営業マンは出入りが激しく、どのくらいの対応が出来るのかやや不安であったが、初めての出会いは特段、否定的なことはなかった。

1989年の始め頃という点と2010年7月4日日曜日という点が一気に結ばれ、線という見える形で出現したのである。そうすると、頭の中から家を新築しようとする当時の想いや、どんな行動をしたかとか、お金の算段はとか、数えきれない事が湧き出ていたのである。無数というか、無限と思えるくらいの記憶の点がつらつらとその21年間を埋めだしたのである。

これらは私の点の集積であるが、21年間で社長までに登りつめた当時の課長さんにも同じ21年間を埋める色々な出来事があったには違いないか、それは私の世界から離れた処で私が知る由もないことである。一度お会いできる機会があるならば、お話ししたいと思う。しかし、21年前の一介のお客の顔をして、のこのこと突然本社の受付嬢さんへ新社長さんに面会したいのですがと言っても、受付嬢さんは困惑するのが落ちかもしれない。現代版受付には受付嬢さんがいない可能性が高そうだ。

蕎麦がき

先日、奥飛騨、乗鞍、松本方面へ出かけた時のお土産(自宅用)が手付かずで残っていたので、昨日の日曜日に数十年ぶりに蕎麦がきを作った。買ってきたお土産とは長野産、そば粉100%のそば粉である。

ごく普通のそば粉袋(そば粉100%)

ごく普通のそば粉袋(そば粉100%)

これも写真集になってしまうが、ただそば粉に熱湯を注いで捏ねるだけのものだが。私は数年前訪れた黒姫山山中にある蕎麦庵で頂いた、蕎麦がきの味ではなくて、食感が今までのねっとりと、少し歯ごたえのある固めの蕎麦がきではなく、その時初めて経験したふわっとした食感の蕎麦がきを、自分でも作れるだろうかと勝手流に、捏ねた後の蕎麦がきを少し平べったくして葉っぱのような形にして、蒸籠で数分間蒸してみたのである。

捏ねるのは、単純にそば粉10に対して、熱湯を15とする量比でやるだけだった。

こちらはたれとして山葵しょうゆ

こちらはたれとして山葵しょうゆ

イタリアン風にオリーブ油に岩塩を混ぜたたれ

イタリアン風にオリーブ油に岩塩を混ぜたたれ

 

作り終えて、食べてしまって、今日になって思い出し、娘が良く参考にしているクックパッドにも出ているかなと思い、検索したらでていました。

なにやら、自分が作った蕎麦がきの形が似ている。しかし、そば粉の混ぜ方、捏ね方がかなり違う。買い求めたそば粉の袋の裏書きには、昔ながらの、お椀にそば粉を入れ、それに熱湯を注いでかき混ぜ、団子状にすること程度の説明であった。詳しくはクックパッドのレシピを参考にして頂きたい。

http://cookpad.com/recipe/261800

諏訪大社下社脇にある万治の石仏

先日(2010年6月6日)訪れた諏訪大社下社脇にある万治の石仏は、ちょっと前にその頭が動いたと噂となった。

全望は写真の通り畑に大きな胴体の石の上に頭が鎮座している。明らかに頭はと胴体とは分離して見え、それなりに彫られた後に乗せたように見える。この頭が動いたそうである。回転したのか、顎をしゃくりあげ上目目線になったのか、はたまた頭を垂れてじっとしてしまったのか分らない。

殿と鎮座しています

殿と鎮座しています

由緒書き、1660年万治三年

由緒書き、1660年万治三年

下社の脇の水量が豊富な流れを渡り、お世辞にも素晴らしいとは言えない何処にでも有りそうな田舎の小道をほんのちょっと進むとこの万治の石仏へ来てしまう。

狭いので、天気が良かった先日は観光客でごった返す状態である。3回まわって“にゃんとかお手“ではないが、信心深くこの石仏の周囲を3周しないと心が伝わらないそうだ。

このような信者で一杯

このような信者で一杯

私も言われる通り、3周してしまった。頭だけを色々な角度から眺めたが、どこが以前で、どのように動いて今のお顔になったのか定かでないので、何とも言えない。謂れについては案内板の通りで、信じる以外はないようだ。

正面、今の日本人には珍しい大きな鼻

正面、今の日本人には珍しい大きな鼻

やや左側より

やや左側より

横顔、首は有りませんね

横顔、首は有りませんね

この仏様、野ざらしのようだが、地形的に以前は風雨を防ぐようなお堂に収められていたかもしれないと思った。小さなお堂が建てられるくらいの場所がある。

行きには気付かなかった小道の脇に綺麗な花、癒してくれる

行きには気付かなかった小道の脇に綺麗な花、癒してくれる

我々日本人は神仏混合の文化が知らずのうちに沁みついている。神様の後に仏様を拝む。奈良時代以降、神社の際に別当寺がセットで有るのが普通で、明治維新後、廃仏毀釈で多くの貴重な仏像などが壊されたり、海外へ流出した事件があった。この石仏さんまでどこかへ持って行かれず、幸いした。