三鷹天文台見学記

平成23平成5月28日、三鷹の国立天文台を見学する機会に恵まれた。

午後雨降りの中、緑が映えた東京にも、このような森、木立があったのかと驚嘆の中、ある目的の為に訪れた。総勢6名プラス、天文台所轄の大学の先生との軍団となった。

この三鷹の天文台の歴史はウェブなどに詳しく紹介されているが、初めに、一つ同行者Sさんが教えてくれた点と私が江戸時代の読み物として記憶していたことが結びついたことをお話ししておきたい。同行者によると三鷹の前身は明治政府が東京三田に設立した天文台で、今立っている東京タワー近くの麻布、時には狸穴(まみあな)、ロシア大使館裏、六本木にも近い丘の上とも呼ばれ、そこにあったそうだ。話が飛ぶが、以前勤めていた外資系企業の事務所が近くにあって狸穴界隈を長年うろうろしていたが、三田の天文台跡は全然知る由もなかった。何と知っておれば跡地も訪れたのだがと、残念に思った。

そこから大正時代の関東大地震前に移転の話があって、武蔵野の面影どころが、武蔵野の原野に当時移って来たそうだ。

実は江戸幕府が暦の管理、作成の為に既に天文台を置いていたが、私の記憶にあった浅草天文台が前身で、今の浅草橋近くにあって鳥越天文台とも言われ、高橋至時に教えを請うたあの測量の父、伊能忠敬が通い詰めた所である。さらに歴史をさかのぼると、江戸幕府の天文台は都内の高台である、神楽坂の坂の一番奥にあたる、現日本出版クラブのビルがある辺りにあったそうで、それが九段坂上の高台、今の靖国神社辺りに一度移され、浅草へと降りて来たらしい。

さて、初めに訪れたのは口径20cmの太陽観測用の屈折式望遠鏡小屋。正確な建設は1921年、大正8年のことだそうだ。実際はその形を見ると天文台と解るドーム式の建屋であった。望遠鏡、ドームの回転など全てが手動操作で行うものだそうだ。望遠鏡の太陽の映像は写真で撮るのでなく、紙に映し出されたものをスケッチして、黒点の数、形などを観測したそうだ。ちょっと見過ごしてしまいそうだが、隣に小さな土盛りがあり、それは7世紀ごろの方円墳(古墳)だそうだ。その時代から武蔵野の丘に人は居していて、天文台の高台の下には多摩川へ流れ注ぐ野川があり、綺麗な水も得ていたのだろう。古墳の周りを掘り返せば、当時の遺蹟がザクザクと出てくるかもしれないと変な想像をしてしまった。

さらに足を進めると、次の65cm望遠鏡ドーム(1926年建設、大正14年)へつらなる直線の道脇に、太陽系の模型が正確な距離間隔とそれぞれの惑星の大きさを縮尺して作られている。太陽と土星の間隔が長さ80mくらいになっているのだが、太陽が大人の肩幅程度の円盤で、地球などは小指先の小さな正露丸の玉にもならないくらいの小ささだった。

この大きな太陽系模型の先の65cm望遠鏡ドーム搭の手前に、今日お邪魔する目的の処がある。予約していた入場の時間まで、すこし時間があるので、65cm望遠鏡ドーム搭が天文台歴史館になっているので中を見学した。この口径65cm屈折式望遠鏡はドイツ製で光学系などカールツサイスの素晴らしいものを使っている。ドームは板張りで球状に作られているのが、内側からはっきりと分る。重たい望遠鏡を支える舞台も簡単な鉄骨に板張りの床から出来ており、それでどこまで精度が維持できるのかと心配もしてしまった。

今回見学の機会を提供して頂いた先生の話で、一つこんな“取引“も当時あったのかと吃驚してしまった。この望遠鏡は何と世界第1次大戦の戦後賠償として、日本がドイツから受け取ったというのだ。彼の地からここ三鷹までは運んで、部品など全て校正し、観測に使えるまで再生したようだ。当時の戦争賠償ではこんな物々交換までしたのかと、自分の無知をさらけ出してしまった。今で言うと、戦争で破壊せずに先端製品・システムを戦利品として得るスタイルだ。

この歴史館の見学が終わって、今日のメインテーマの時間が近づいたので、目的の処に集合した。4次元宇宙シアター体験(4D2Uドームシアター)がメインディッシュで、簡単に言うとこれまでの宇宙天体観測で人類が知り得た全ての星、銀河の空間情報をコンピュータに取り込み、地球から飛び立った宇宙船に乗った様子が3Dシアターで楽しめる仕掛けである。先ず、太陽系から脱出、途中には小惑星帯、冥王星より外のオルト帯も離れ、われらの天の川銀河系(我々の太陽系は比較的外側の腕の所に位置している)から脱出、宇宙誕生から130億年の全容が見られる遠方まで宇宙船が進む。途中では銀河系が一様に分散分布しておらず、局部的に存在しそれが網目状になっている様子も分る。我々人類にとって調べることが出来ない宇宙領域もある。それは我々の銀河、天の川があまりにも明るく、天の川銀河の断面方向から見る先の宇宙が途中に存在するガスの吸収などで見えないことである。

これまでの、光の点を星として映し出すプラネタリュームと異なり、惑星、恒星、銀河などが画像合成されたされたものが3D映像投射されているので、立体感は素晴らしく、時には見ている人が宇宙酔いになるそうで、その時は3D眼鏡を少しはずしてお休み下さいという注意もあるくらいだ。私は宇宙酔いもなく、固定した座席に座りながら、宇宙船がいかにも空間を、自由に方向を変えながら凄いスピードで飛び回る疑似体験が出来た。

見学後の天文台の先生との質疑では、先生は一般の恒星や銀河系の研究ではなく、我々に一番身近な我々の太陽が研究のテーマだそうだ。それで、地球の衛星軌道を回るX線観測衛星“ひので“を設計し打ち上げ、太陽の画像を観察し研究しているという。宇宙は誕生後約130億年が経過している。我々の太陽は誕生後約50億年で残りの水素量などから推定してもう50億年くらい寿命があるそうだ。地球は誕生後46億年くらい。ここで簡単な計算で分るが我々の太陽は宇宙が出来て80億年くらいして誕生したことになる。

そうすると、その元は何だったのか?答えは既に存在していた恒星の寿命が尽き超新星爆発して飛び散った水素やそれまでの恒星内部で核融合反応が進み、合成された少し重たい元素が元だそうだ。したがって、我々の太陽は宇宙の屑から出来ており、本当に真新しい水素だけで出来ている恒星と違って、我々の太陽には実は鉄のような重たい原子が含まれているのだ。地球上の生命体も同じく太陽系が出来るから前に存在した原子元素から構成されている事も分る。非常に長い長い旅をしてきたことが解る。

何故か同行者から、話が宇宙から生命体のDNAの事になった。元素が存在していても、我々の体の中は無数の組み合わせから選択されたDNAという生命継続の仕組みから出来上がっているのだと受け止めた。しかし、雌雄でなく、複数のDNAから複数の新たなDNAを生成したりすると、地球上でも今の植物・動物の2つの雌雄でない、3つ以上の“性“が存在する興味ある世界になっていたかもしれないという壮大なロマンまでも、語らせてくれた4次元シアターの観劇であった。

最後に、大陽を研究テーマにされている先生の今の研究課題をお聞きすると、核融合している表面温度が6000度の所に、何故温度が数100万度のコロナ(プラズマ)現象が起こるのかとうことだそうだ。これは言ってみれば、0度以下の氷の表面に突如として100度の沸騰水が現れる状態が起こりうるのかという事と非常に類似していると考えてしまった。やはり、今回の壮大な4次元シアターの観劇は人の気持ちと想像を大きくしてくれた事には間違いないと思った。是非、小学校高学年、中高生にも机上の読み物でなく実体験をして欲しいと思った。

その他、日時計、アンシュタイン搭、室内の展示室でビデオ観賞なども体験出来た。

国立天文台サイト:http://www.nao.ac.jp/

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