貞観地震 国家崩壊の序章

2011年5月18日、読売新聞朝刊に-貞観地震 国家崩壊の序章-という記事が掲載されていた。 平安朝9世紀の国内、30-40年くらいの期間で起こった自然災害で国家が衰退したようだ。当時の自然災害が下記のように年代順に表にされている。

9世紀後半の主な天災 (2011年5月18日、読売新聞朝刊掲載-貞観地震 国家崩壊の序章)

①850年 出羽(山形)地震 最上川を逆流した津波が国府に迫る。 1992  
②863年 越中・越後(宮山・新潟)地震圧死者多数、海の小島が壊滅。 2005  
③864―66年 富士山が噴火。溶岩流で青木ケ原樹海できる。 2006-2008  
④864年 阿蘇山(熊本県)が噴火、3年後にも噴火。 2006  
⑥868年 播磨(兵庫)地震 官舎や寺がことごとく倒壊。 2010  
⑥869年 貞観地震 2011 東日本大震災、 原発汚染
⑦871年 鳥海山(秋田・山形県)が噴火。 2013  
⑧874年 開聞岳(鹿児島県)が噴火。 2016  
⑨878年 関東地震 相模、武蔵で大被害。平安京でも揺れを感知。 2020  
⑩880年 出雲(島根)地震 神社や仏閣が倒壊。 2022  
⑪881年 平安京(京都)地震 翌年まで余震続く。 2023  
⑫887年 西日本地震 平安京ほか各地で大被害、大阪湾に津波襲来。南海・東南海連動地震の可能性。 2029  
⑬888年 八ヶ岳(長野・山梨県)が噴火。 2030  
       

それで日本人が神仏に縋る強い理由が出来たのかもしれませんし、当時の国家支配層の天皇崇拝が衰退し国難へ向かって行ったかは分りませんが、平家、源氏と武士層が興隆して来たのだと思います。所謂、支配層の大きな変革と社会の仕組みが大きく変わって来たことは間違いないと思われます。

この年表に最近の日本の自然災害を今回の東日本大震災を西暦869年の貞観地震と符合させ10年くらい前から当てはめると面白いかもしれません。阪神淡路大震災、三宅島噴火、北海道有珠山噴火、島原普賢岳噴火など思い出すと色々と出てきます。貞観地震の約10年後で関東大震災なんか見えてきますね。いきなり東海・南海地震で浜岡原発はないと思いますが。

1983 日本海中部地震

1986  伊豆大島噴火(前後に伊豆半島地震)

1990  島原普賢岳噴火

1993 奥尻島地震

1995 阪神淡路震災

2000 三宅島噴火

2000  北海道有珠山噴火

2004 中越地震

2007 中越沖地震

2008 岩手宮城内陸地震

2011 霧島(新然岳)噴火

2011  東日本大震災

2011年からさかのぼって、噴火、地震を書き出すとかなりあることが分りました。日本にとって普通の出来事なのかもしれませんが、1000年に1度の30-40年期間と見れば、やはり非常時です。最近の調査ではもう1000年前の弥生時代にも東日本で大きな災害があったことが示され、記録が無いにしても時代を変えた可能性は否定できません。

さて、このような傾向で、今後将来に起こりうる事象全てを正確に予測することは出来ないにしても貞観地震を基準にして、同じような時間スケールで災害が起き続けるとすると、現代でも2030年くらいまでのスパンを見ないといけないようです。

それで、日本が本当に衰退するかどうかは、当時と異なって人為的構築物が関与し、被害レベルを増大させる可能が大きく、防災対策が急務であることは明らかです。また、諸外国との連携も中世とは違って、衰退した国をやすやすと強国が支配するという行動は取れないと思います。

こんな歴史的感覚と中世では想像だに出来ない人為的事故の可能性も考慮した新しい社会インフラとデシジョンの仕組みを創り出さなければならない事は衆知の処です。しかし、具体的なプランはまだ議論されず、なんとなく時が流れて落ち着くという安易な気持ちと態度を取ってはならないことも明らかです。

私的個人の感覚では、分散デシジョン(行政区などのレイヤーも極力少なくする)とそれを支える予算権限の分散が必要であることは、一極集中ではこれまでの社会が立ち行かなくなっていうことで、明白と思います。

貞観地震 国家崩壊の序章” への4件のコメント

  1. kyoさん
    大変良く調べましたね。
    私も一極集中は反対です、会社勤め時代は旅行でも必ず分散して海外に行ったものです。
    今こそ地震対策(特に原発)をしなければならない時と自然が教えてくれてますね。

  2. 西じいさん
    もともとこのコーナー(ブログ)は私が寺田寅彦を少しばかり追いかけて、平成の寅彦と勝手に名乗って、書き始めました。寺田寅彦はご存じのように東京帝国大学の地震研究所の先生で、初めて、天災は忘れた頃にやってくると言ったのです。やはり単に自然科学の先生というより地震学者で知られています。その名言は大正12年の関東大震災後にはいたもので、その前の忘れた地震とは江戸で篤姫が経験した安政の大地震(1854年)でした。それほど古い地震ではなかったのですが、東京の人は忘れていた訳です。明治政府はそれを糧に出来なかったようで、大正時代になって、社会も良くなて忘れていたのだろうと思います。大手メーカでは生産拠点の東西分散はされていていると思います。

  3. リスク分散、当たり前のことでもやはり権力の集中にあるように、人の欲望は、より大きくより巨大にを目指してしまいます。
    最近はクラウドという分散させたシステムで一つの大きな仕事をさせることも実現していますが、それはそれで新たなリスクを抱えることになります。
    でもその場合、壊れても一部だけで全部が危機的状況になることは無いと思います。

    地震に強い建物になり、実際の倒壊はずいぶん減ったんだと思います。火災についても都市部では相当耐火構造が多くなり、関東大震災のような都市全体の火災という被害にはならないのかもしれません。でも行政ののんびりした対応、この状況でも動きません。

  4. ナベさん
    分散化したシステム、権限なども注視しないといけないというご指摘かと思います。文書や装置などハードは物理的なもので比較的管理しやすいと思いますが、もっと厄介なことは人の判断、権限ですね。普通、トップの方に異変があれば自動的にNo.2が速やかに代行すればいいだけと思いますが、そのNo.2をさしおいて、別の新トップを画策しよとするから危機対策にならないのだと思います。
    稲盛さんのアメーバ経営なんか、小規模集団でスピーディな行動でJALを救いそうですので、いいと思います。
    http://www.kyocera.co.jp/inamori/management/ameba/index.html

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