荒崎にて

志賀直哉の城崎にてではなく、三浦の荒崎にて。

以前長井か、荒崎の船宿から沖合に釣り船を貸し切って光ものなどを狙って楽しんでいたが、実は荒崎の港や岩場をゆっくりと見て回ったことはななかった。幸運なことに、2月20日に知り合いに誘われて、荒崎を再度訪れ散策をすることが出来た。

荒崎の由来、謂れなど多くの処に説明されているので、ここでまた素人の私が触れることは避けておく。ただ、曇天のなか、自然の草木を撮るはずだった目的から反れて、やはり堅いものを中心にデジカメのシャッターを切ってしまった。数千万年前から堆積した地層がほぼ90度まで傾いてしまった光景があちこちで見られた。

これは先ずバスを降りてすぐ目の前の小さな磯の港に、わかめ漁から戻って来た小舟からわかめを下している光景である。こんな素朴な労働の姿は何とも言えない。向こうには吊るして干してあるわかめが見える。

山間を上って下って、また海岸の岩場に出る。それほどの距離ではないが、視界が開けると世界が変わる。白い層と黒い地層がくっきりと帯になって荒々しい磯を少しは宥めるように織なしてくれる感じがする。

その先を行くと、洞穴、洞窟がある。以前は歩いて通れたそうであるが、今は崩れる危険があるので立ち入りは禁止されており海側に造られた遊歩道を行くように指図されている。海岸段丘があって約1.5mくらいであろうが、大正12年の関東大地震で隆起したそうである。

この日は散策する人も少なく、シーズンオフで港の海産物売り場の建物も改装中で、美味いひものなどを期待していたがゲット出来なかった。それより、餌が豊富な港の周りで、ピーヒョロ、ピーヒョロと鳶(とんび)が都会のカラスのごとく群れをなして空中に浮かんでいた。風が強いと鳶自身は羽ばたかなくても浮いて飛んでいられる。時折漁船の落し物の餌を狙って急降下。鳶同士が、人のように争いをしている。

時には自然に触れ、磯の風に当り、磯の香りに漬かり、ランチでは地元のお店で海産物づくしを頂き、海の幸に感謝した。

*交通は京急三崎口より、長井・荒崎行きバスが1時間に2本程度ある。逗子駅からも長井行きバスがある。

荒崎にて” への2件のコメント

  1. 三浦半島というと三浦氏と言うことになりますが、その三浦氏をwikiでちょっと調べてみましたが、古代から勢力を持った豪族だったようですね。
    頼朝について北条に滅ぼされ、足利について北条(早雲)に滅ぼされる。起源が平氏なのだと思っていましたが、平氏は「僭称(身分を偽って名乗ること)」だということを言う人もいるようです。

  2. さぼ郎さん、コメント有難うございます。
    鎌倉方面へ向かうと、三浦氏と同じ様に、梶原、大庭(藤沢)など今でも在の地名に残っている古い豪族がいました。結局、戦国、江戸時代へと進むにつれて淘汰され他のでしょう。

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