狙い

撮影旅行程でもないが2010年の8月に訪れた今一市での事。今年の夏は35度を超える猛暑日が東京では続いていたが、当日道中の埼玉辺りまでは東京と同じ炎天であったが、栃木の日光まで来ると、雲行きが怪しくなった。小雨もぱらつく中、猛暑を忘れる気配でぶらぶらしながら、デジカメで写真を収めた。

時々ではあるが、近場を訪れ、先端技術が詰まったデジカメで写真を撮るが、なかなか気に入ったものが撮れないのが正直な処である。最近はフィルム銀塩写真と違って、高価なフィルムとその後の焼き付けコストを全然考えにもせず、デジカメのシャッターを押し続けてしまう。

そんな人の行為はフィルムからデジタルへ変わったことで、無意識に変わっていて、自分でも気が付いていない。沢山シャッターを押せばその中には一つ、美味しい写真もあるだろうと勝手に撮り続けてしまうようである。

最近のモバイル機器には前方、後方(写真の取り手側)の様子が撮れるように2つのカメラレンズを備えたものもある。しかし、自分の背後、背中を無意識に撮ることなど想像にもしていない。どこか人気のない道を歩いていて、隠れた防犯カメラでパチリとやられ、何か後になって、“おまえ、いついつごろ、あの辺りをうろついていたな”と言われても、“それは後姿ですから、きっとお間違えでは”と問答をするようなことも、確率的にはゼロでない世の中になって来ている。

本来の今一市訪問は別の目的があったのであるが、同行していた知り合いから、最近になって写真を頂いた(といっても、メールの添付ファイルでは容量制限があるので、デジタルファイルをサーバーから直接ftpでダウンロードした)。それは日光街道のはずれの大木杉の写真である。近在を散策していて、途中の大きな杉の木が気になって撮ったのである。

もっと高く伸びようと

スリムな胴体

空へ向けて一気に挑戦しているような雰囲気を感じさせる大木。この枠の中だけでは大木だか小木だか分らない。大小関係が削がれている単なる写真に過ぎない。しかし、知り合いが送ってくれた写真で、初めて物事の大小を比較できる基準を真ん中に殿とさせてくれた。その大木を撮影していた私の後姿をご覧いただければ、街道筋の杉の木が小木でないことは気が付く。

いい大人が一人 (知り合いが撮ってくれたもの)

こんな他愛もないことを書いていたら、その写真を送ってくれた知り合いからメールがあった。それを引用させて頂く。

一羽の奇妙な大きなカササギが南の方からやってきて、荘子の額をかすめ栗林の木にとまった。そのカササギを射止めようと矢をつがえて狙ってみたら、カササギが蟷螂を狙っていることに気がついた。その蟷螂は、一匹の蝉を捕らえようとしている。蟷螂も鳥も自分も、己の利だけを見て周りを見ず、我が身に迫る危険を考えてもない。荘子は愕然とし弓を捨てて栗林を出たら、栗林の番人に追いかけられてこっびどく怒られた。こんな挿話が荘子にあり、狙っている物が狙われているという構図だそうです。

気が付かずに、私が背後から狙われているとは、私がカササギ、蟷螂、果して蝉役なのか無限の連鎖に陥りそうで、これ以上の詮索は御終いにしたい。

真夏の間隙、涼しい中で人工の塔が

実はその大木の脇の空間には、人工の大木が地上の人達を見張っていることに気が付いた。人は便利になると山間など何処にいっても、モバイル、携帯が繋がらないと文句をたれる。しかし、その文句は、自分の視界にあろうかなかろうかお構いなく人工の大木塔(携帯電話の基地局のアンテナ)に支配されている現代の我々の賤しさである。

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