古代の水溝

先日のブログで地元北区田端の西台通遺跡のたわいない写真を紹介したが、よく見返すと水溝の遺構もあって、所謂水路の横で物洗いをするような区画が見出されている。写真のブルーの囲みで示した(少し分りづらいですが)。

弥生時代の水溝と洗い場
弥生時代の水溝と洗い場

既に水溝が綺麗に作られ、掘立柱で建物を造ったのとは異なり、柱・杭が密に並べたような穴が残っているのが分る。当時この水溝の下の方は河か、海の浅瀬だったようである。

昨年6月(2009年)に東京・武蔵野の郊外の千川上水沿いを歩いて、撮った写真があり、見直した。こちらは江戸時代以降新しく造られたので、石造りで整然とした洗い場があることが分る。この造りは、古代(おそらく弥生時代)の水溝の横に作られた洗い場らしきものと酷似している。

千川上水の石垣
千川上水の石垣
千川上水際の洗い場、階段付き
千川上水際の洗い場、階段付き

やはり、人の暮らしは、近くに水場があって便利なところを中心に営まれるものだと再認識した。

*千川上水の水源は玉川上水から分岐している地点で、そこから練馬、板橋へと流れ、今では石神井川へつながれている。

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