これは典型的な外来語の発音をそのまま表記した我々にはとんでもなく悪い言葉だ。口の機能の衰えを意味し、70を超えたシニアにとっては多様な老齢化疾病の直接・間接的症状の現れで、死にも繋がる。詳しくは、今はやりのAIサポートやウィキペディア(wiki)を参考にされたい。
今日は私の独断、変わった見方でOFついて呟きたい。高度に発達したホモサピエンスは言語を習得し、文字を発明し、今や宇宙開発にピリピリし始めている。逆に失ってしまったもの、正に失いつつあるものに注視してみる。30-40万年前に樹上で暮らしていたグループが地上へ移行し、2足歩行の能力を得て、高度な言語能力を身に着けて行ったと研究者は述べていた。その時期に呼応して人類は失いつつあるものも複数あったという。
よく例に私は上げるのであるが、4足動物で走るのが速いチータやヒョウがこれも走るのが早い草食動物を追いかけて捕え、その日の空腹を満たせるのが第一番の関心ごとだ。チータやヒョウでもそう簡単には、跳んではねる獲物は捕えられない。走る向きをパット変え 後ろから追っているチータも瞬時に走る方向を変え、こんなことを何度か繰り返して、やっと獲物を抑え、直ぐに空腹を満たしたところであるが、未だせねばならないことある。
今度はハイエナや鷲のような餌を横取りする動物に対して、力がとんでもなく強い顎で獲物を噛んで、 木の上に引き上げるか茂みに引き込む。それでやれやれと獲物を食するという普通のストーリがTVなどで観られる。
これらのチータの口の機能について、独断してみる。
もはや、高速で逃げ回る獲物を追って瞬時に身体の向きを変えられる能力は大脳で処理した結果をフィードバックして、次の行動を起こすという遅いプロセスではなく、小脳・脳幹で無意識の瞬時のうちに反応出来る能力であろう。
それに対して、人類は言語能力を高めた結果、大脳でのゆっくりとした処理に呼応した口腔の構造が高音から低音までの発声に合うように細長くなり、顎も細長く変化してきたそうである。もはや、樹上で暮らしていた世代の人類が持っていた噛む力も弱くなっていったのであろう。
さらに、人類は視覚の精細さと聴覚の高度化も進んで行ったと推察している。 その傍証として目の見えない視覚障碍者は耳が良いそうだ。ある視覚障碍者は、今はやりのネットビデオサービスのYouTubeで、若者が出来るだけ短い時間で多くの情報を入手したい、理解したいという世界的なニーズがあり、YouTube には再生速度が次の等倍速以上で、1.25 1.5 1.75 2.0倍速以上ので動画の音声を聴き分けられるという。
それ、ちゃう ちゃう と 大阪のおばちゃん
これは チャウチャウ犬 のことではないと 東の関東地区の男性
それは違う、違うのです。と大阪のおばちゃん言葉を関東風に翻訳。
助詞の(は)が省略され、sore ha chigau no desu がSORE CHAU CHAU に。
言語的に省略と短縮がおこなわれ、話言葉がどんどん早くなり、俗っぽく変化する。
早口に対して、速読能力もよく注目される。普通の人は本を読む時、一文字づつ追って読むのだが、速読力のある方は文字を追って行くのではなく、複数の文字列を一塊として、平面的図形として捉え、自分のケースでは縦書き・横書きでも、1行17文字位が一番ピッタリ感がある。原稿用紙の20文字はちょっと長すぎて、読売新聞は縦書き1行12文字で書かれているが、12だと短すぎて、ピッタリ感がない。文字列の一塊は5-6行の総文字数で17x(5~6)、すなわち一目、一見で85~102文字がざっと見渡して私が理解できる図形範囲である。これを1秒間で視覚情報を処理可能な大脳の能力とも言えないか?
もはや1秒で100文字分は人の音読限界を超えている。これら高度に特化した二つの能力は大脳をもっと発達進化の道へと開いた。しかし、失ったものも有ることを忘れてはいけない。
次のことは一般的なシニアの事象で、耳が悪くなりましね、聴こえ難くなりましたねと会話が進むようだが、、、。実は音の強弱に加えて、シニアの方は音の高低(すなわち、周波数)の高音域が聴こえなくなる。
すなわち、日本語は母音が主な言語でこれに撥音が組み合わさって構成されているある例だが、難聴で90歳を超えた老女と5-6歳の幼稚園児が、じゃんけんをしていた。
子供;じゃんけんぽい、じゃんけんぽい と大きな声で繰り返すのだが
老女;何 じゃん じゃん というだけ? 怪訝な表情
これは老女が け と ぽ が聞き取れていないこと・撥音も言い辛いことが判明したOFの分かりやすい例である。