寺田寅彦の“知と疑い”大正4年

コンサルティングの仕事をしていると、発明とか発見とか知的活動を促進させ、世の中にどんどん新しいものを提供していくことが一見世の中を良くするもんだと信じ込んでいるが、実は特許のような知的財産権を得ようとすることは経済事業活動であり、争い事も多い。昨日2020年06月04日の新聞にノーベル賞学者が実施権を許諾した特許を用い事業化をしている企業を訴えたという。企業がリスクがあるのも承知して、莫大な投資をして製品が良く売れたので、後になって分け前をもっとよこせといったような類にも聞こえる。最初の発明者と発明者の所属している大学と企業との契約内容は知らないが、ある薬品メーカのオプジーボである。
以前、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹の創造性に関する書籍を読んで、はっとすることがあった。時代的にパソコンはまだ無かったが、第2次大戦後暫くして、計算機が出始めた頃に湯川博士は最近の若い研究者は計算に頼りすぎ、アナログ的な直感をもっと磨いた方が宜しいと指摘されていた。
今回、大正4年(西暦1915年)に寺田寅彦が書いた“知と疑い”という小文を2004年頃青空文庫からテキストに落としておいたファイルがパソコンに眠っていたものを読み返した。直感的にはよくも105年も前に普通に人には分かりづらい表現・語句を引用し寅彦先生も書いたもんだなと思った。しかし、読み直すと小文の内容は非常に重要な発明、発見、創造、そして関連して知恵とかイノベーションを網羅しているものであるが、私か今使った語句は一切使われていないのである。それらは寅彦独特の言葉を用い表現されている。
その前に、なぜ難解な“知と疑い”になったのか、その時代背景を私なりに説明を加えたい。西暦1915年頃はアインシュタインが一般相対性理論を発表した直後で、そこから遡ること7-8年前、Minkowski <ミンコフスキ>空間(寅彦はWeltという独語を使用)が発表され、数学的に時間軸を加えた4次元空間で示すことができると公表された頃であった。数学的にはn次元のベクトルと新たなベクトルの外積をとり、これをn+1次元のベクトルと定義するようなことである。
寅彦は実際どのような語彙を使って表現していたのだろうか。もちろん現代版カタカナ外来語、イノベーションなどといったものはない。(注:イノベーションとはneue kombinationen , 既存の要素で新しい組み合わせを生み出す事、後出―1番目の疑う人) 2004年に保存しファイルには注意事項として太書きした部分(寅彦の文)があって次に紹介する。

しかして暗は無限大であって明は有限である。
雨が降って天気のよい日のある事を知る人の少ない。
疑う人におよそ二種ある。

最初の文など一般人にはチンプンカンプンであろう。無限と有限を寅彦は微分で表現し、おそらく無限とは微分が無限でこれを暗とし、明はすなわち微分が有限な様態を示している。
注目したいのは3番目の文、疑う人は2種類あるという指摘である。
私なりの言葉でいうと、過去の先達が積み上げた知識体系を会得し、研究して新たに発見を加える事(人)と全ての知識体系が完成しもう終わりだと普通は言ってしまうが、そこでさらに何もやることはないとは、おかしいと疑う事(人)の2つがあって、寅彦は同時にこれら2つの能力を発揮する人は極めて稀であると言っている。寅彦は、寅彦の言葉で 一人にしてその二を兼ぬる人ははなはだまれである。これを具備した人にして始めて碩学(せきがく)の名を冠するに足らんか。 と、この小文を閉じている。
知は疑う事から始まる。リンゴがリンゴの木から落ちたり、錘を付けた振り子がただ振れていると疑わずに放置したり、天王星の動きが少しおかしいけど、これがデータのバラツキだと判断して疑わず外周の新惑星の発見に至らないとか、古典力学で十分だとか電子運動の実験的解明(疑いを持つ)が無かったら相対性原理の発見に至らない105年前の平凡な暮らし向きを我々は続けていたかも知れないのである。

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