ギメの日本美

  私の独り言は自然に内なるところから湧き出るものでなく、何か外からの刺激があってそれに反応し、結果として表出してくるものが多い。令和3年1月20日の深夜番組NHKのBS放送(後で調べたのだが、2003年に放送された番組の再放送)を観て呟きたくなった。
明治9年に仏より来日したエミール・ギメという若い実業家が日本中の仏様(ほとけさま)、仏像の類と幕末から明治維新の時代に書かれた絵図を収集し(対価の金銭を払い購入した)、仏に持ち帰り自分の美術館を建て、保存保管していたという内容である。
  幕末に和蘭(オランダ)や英米人が来日し、浮世絵や江戸の郊外、谷中巣鴨辺りの植木を買い集め欧州へ持ち帰った話なども多い。また、明治になって経済的に困窮した旧大名、旧家が手放した物品も欧米へ流出した。
よく宿題みたいに本を読んだ感想とか映画を見た印象を文章にしてくれと言われても、子供たちは本当に良かった、素晴らしかったと体感できても、それを文章にしろと言われても、なかなか出来ないものだ。この深夜番組も感動が先で、後で文章にした少し作業的になってしまうが、その感動を少しでも残したいという私の意図がある。写真、絵などを省き、その感動を文字だけにしたためてお伝えすることは一番の難題と分かっている。
  TV番組の場合はこれでもかこれでもかというくらいに鮮明な映像を見せつけてくれるが、ギメが収集した大小の仏像、木造・青銅製の仏像だけでなく、番組では一般庶民が所有していたと思われる大黒様に焦点を当て、ギメが多種多様の日本美として受け入れた仏像を紹介していた。廃仏毀釈で不要とされた「日本の美」を日本人は簡単に処分してしまったのである。
  驚くことには、法隆寺にあった仏像、目黒の行人坂先にある幡龍寺の丈六(高さ4.8m)、青銅製の阿弥陀如来像まで収集し、残念だが三分割されて仏まで輸送され、今でも博物館で保管管理され、日本美として鎮座している姿が紹介されていた。しかし、三分割された切り口は痛々しかった。法隆寺より流出した国宝級の仏像(脇侍・勢至菩薩)は近年里帰りし、主の仏像(阿弥陀仏)と合わせて三体が一緒に写真に収まっていたが、流出した経緯は不明のままである。 記録によるとギメは中国の仏像として購入したらしい。
  さらに関連の仏像を紹介説明している書物まで収集し、その書物を求めたであろう日光にある骨董店にまで取材に出かけ、十二代当主になる淺倉屋・吉田文夫氏の話も番組で取り上げられ、ギメの日本美に対する探求心のようなものまで掘り下げていた。
  今回のNHKのこの番組は著名な写真家が仏にあるギメの美術館、生家を訪れるのだが、あまり番組の内容や私の感動体験をリードしてくるものではなかったので、敢えてお名前は記さなかった。実際、ギメが訪れたあろう日本国内の地を番組の為に巡られた日仏外交研究家クリスチャン・ポラック氏は温厚、静寂感、ゆったりと喋る日本語は十分受け入れられるものであった。
  最後に、ギメが気にいった武者絵師の河鍋暁斎にモデルになってくれと依頼し、同行した画家・レガメが河鍋像を描き始めたところ、河鍋もじっとしながら暇だったので、筆でささっとレガメ像を描き上げてしまったという笑い話みたいなことも番組で取り上げて、私はその部分が一番印象的であった。ギメに同行した画家・レガメの描く河鍋は銅板エッチングのような細い線の集合体として硬く感じたが、河鍋の日本美は、非常に速く走らせる一本の筆で描く墨の濃淡、筆の力具合で変わる太さの集合体からなる人物像であった。

  追記、東京ステーションギャラリーで2020年11月28日から2月7日まで開催されている「河鍋暁斎の底力」展を1月27日にに偶々知る。是非2月に入って訪れてみたいと思う。1月30日記す。

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