911と割り箸袋


最近(平成31年3月)、部屋を片付けていると、ある店の割り箸袋が出てきた。そこには店の場所を示す手書きのメモが見える。よく見ると米国NYマンハッタンにある和食店のものだ。それを見て“さーと”記憶が蘇ってきた。それは大事故・大事件が起きてから9年も経って書いた次の様なブログで、是非お読み頂きたい。

マイブログより 2010年9月12日

私がわざわざ、2001年の9月11日(米国時間朝)に貿易センタービルに時間をおいて2機の飛行機が突っ込んだ忌まわしい事件について詮索することは出来ないし、そんな詳しい話も知らない。ただこんな離れた日本人でも少しは影響があったことを書き留めておきたい。

その911事件の約1年前、私はちょうどNYCのマンハッタンを訪れ、市内のホテルの1室で当時勤めていた外資企業の仕事で本社の連中、日本企業の方との会議に同席していた。会議も終わり、参加していたメンバーがそれぞれNYを離れ、私一人だけが翌日移動するフライトのスケジュールに合わせて、連泊をする事になった。

2000年ごろにはNY市も当時の市長の努力のおかげで治安も回復しつつあり、私は会議後、夕飯にありつく為にマンハッタンの通りを一人でうろうろしていた。夜の時間も進み、日本人らしきアジア人数人のグループが20-30m前を行っていた。そこで、勘だか、おそらくその日本人らしき連中も腹をすかして、NYCでもしや和食屋を目指しているのではないかとおもい、なんとなく後を追った。やはり、正解で大通りから路地に入り、薄暗い道を進むと活けすを備えた和食屋へたどり着いた。当然、私は予約なしで飛び込む形で一人和食を味会う機会を得たのである。<そこで味わった和食に添えられた割り箸の袋が2019年3月という最近に見つかったのである。> そんな風にNYCの暗い夜道をのんびり歩けるくらいに治安が回復してきたのだと実感した次第であった。

さて、その和食屋での出来事(昔し岩国基地に勤務していたという米国人老夫婦の話し)もあるが、それは割愛して、1年後に迫った2001年9月11日日本時間夕刻、私の部下が米国へ向けてお客さんとの会議がある為に成田から出国した話をしたい。当時、台風が来ており鉄道などの交通の便が非常に悪い中、部下は乗り継ぎ、最後はタクシーで空港へたどり着き、やっとのことで米国便へ搭乗した。

私がその夜帰宅し、TVを観るとCNNがちょうど2機目がビルへ突っ込む様子を放映していた時間であった。始め、あんなマンハッタン上空へ大型ジェット機がうろうろするのは故障でコントロールを失った状況へ陥ったのかと思ったくらいである。そんな混乱している状況で、国際フライトでアメリカへ入国着陸しようとしているものは近場へ緊急着陸させられたというニュースがTVを駆け巡っていた。

もちろん部下の乗ったフライトもどこかへ強制着陸させられたようだが、その実態が日本時間の翌日になっても解らなかった。日本の航空会社はxx便はどこへ着陸し、xxのホテルに向かっているとか、宿泊中だとかの情報が出始めたが、米国航空会社のフライトではそんな情報は得られなかった状況であった。数日して本人から、xxへ移動させられ、xxホテルにいますと言う連絡があった時はホットしたと同時に、御家族の方が心配されていたのにどうにも出来なかった事が歯がゆく、申し訳ないと率直に思った次第である。

911と全然関係なさそうな私であったか、今お話しした程度の影響に済んだ。幸いにも、アメリカ本社の友人、知り合いでその911の惨劇に巻き込まれたということにもならなかった。そんな、9年も経とうとしていた最中、最近本当に御近所でお店をしている方と話す機会があり、”私の日本人の友達(夫婦で貿易センタービルのかなり上の階でレストランをやっていた方)が911に巻き込まれて亡くなったんです。”ということを知った。

異文化、異なる宗教を信奉し、異なった民族が移民ということで集まった国を新たに形成し、営まれているアメリカは人類の新しい実験をしているかのごとく、従来型の単文化、単民族が営む比較的小さな国とは違って、目に見えない対立が表層化し、あちこちで毎日紛争の様なニュースが駆け巡っている。是非とも、日本がこのようなダイナミックに浮き沈みしている世界の状況を理解し、自らの立ち位置を確認してみたらと想う。

2010年9月12日記す

追記2019年3月28日