物々交換と信用意識改革

平成29年3月18日昼間、中央区常磐橋近くの日銀貨幣博物館(正式名、日本銀行金融研究所貨幣博物館)を見学する機会があった。

たかが種々の金属を用いた銭作りや紙に印刷した紙幣作りのまとめかと浅はかな思い込みは全くの的外れだった。

古代は口にできる食品や生活するのに必要な物資の方が価値が高く、物々交換の慣習に貨幣を如何に流通させるかの意識改革が必要だったことが分かった。その為に当時の国家や大手商人の裏打ちがされた(信用という無形の価値を相互に受け入れる)貨幣という位置づけだった。

古代の租税の支払いは物資であることが多かったが、重たい物資を奈良の都へ運ぶ、流通改革も貨幣の代替で行われており、手形の習慣も生まれてきた。

古代の日本では銅資源が限られており貴重で、銅銭が使われた。そのうちにもっと貴重な金銀が登場するが、それには深入りしない。粗悪品は鐚銭(びたせん)と言われ、この博物館の情報ではないが鉄で作られ銅銭の十分の1の価値だったという。

古代の日本は国内で銅資源開発を進めるより、中国から銅銭を輸入したほうが安上がりで、中世までそれらが流通した。輸入されたという事は他の特産品が日本から輸出されていったということで、国際貿易が発達した。

通貨の単位は銅銭の重さ、一貫とかが使われた。また、8世紀ごろでも融資(借金)制度があり、月利が15%で現在と比べると違法金貸しより、もっと高かったが、比較的短期間に返済されている記録が残っている。その後、禄高などがお米の量、石で基準化されて、貨幣の仮想的価値の受け入れには、それなりの年月が必要だったことを認識した。

見学した際には古くからの江戸の桜の花見のスポットが浮世絵で紹介されており、屈強な感じを和らげていた。予想以上に見学者(海外からのツアー客も含め)が多かったです。

https://www.imes.boj.or.jp/cm/

 

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