お八つ

平成24年10月16日の知り合いの方のtweet。

「六つ」というと午前の6時ころか、18時ころかが分からないので、午前は「明け六つ」で、午後は「暮れ六つ」と言った。室町ころから日の出から日の入りを6等分する不定時法が定着した。ひるの「八つ」はだいたい14時ころで、その頃間食をしたので「おやつ」というのだそうだ。

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今風にいうと“おやつ”は大体午後3時ごろに、腹が減って来た頃に口にする、お菓子みたいな食べ物のこと。

横浜生まれで、その後神奈川県の中部、茅ケ崎で育った私の記憶では、友人の実家(大農家)ではおやつを“おこじゅ“と呼んでいた。それはネットなどがない昭和40年前後の頃の話。今、ネットを紐解くと、”おこじゅー“は神奈川や多摩地域の”おやつ“のことの方言と説明されている。

さて、知り合いのtweetでは旧暦の時間の分割の仕方が西洋風とは異なり、日本では不定時方法によると、昼の八つは今の午後2時ごろになるそうだが、今は定時の午後3時ごろに口にするちょっとした食べ物が“おやつ”になってしまっている。

さらに続けると、今我々は1日に三食食事を取っているが、その昔は日本も西洋も朝、夕の二食だったと聞いている。そんなことで、身体を使う仕事をしている人が殆んどだった昔はちょうど腹が減る頃に何かを食したいことになる。所謂、おやつ・間食で、恐らくそれが昼食(ランチ)となり、三食制へと変わっていたのではないかと推測出来るのである。

現代人は、朝、昼、晩と三食も食らう人種となってしまっても、さらにおやつと称して午後3時ごろ何かお菓子みたいなものをしっかり食べるようになってしまっている。昼食を食べることが本来の“おやつ“とするとそれで十分なはずである。

お八つ” への2件のコメント

  1. 「武士の家計簿」に、暦が太陽暦になったとき、江戸時代の人が大混乱を起こしているさまが書かれています。正月のいつに餅つきをするのかさえ分からなくなっている。特に武家には年中行事があって、それがいつになったかが分からなくなり「鮒の藻刈りに酔いたる体」。鮒が住処を失って息も絶え絶えになってしまったという感想を述べてます。

  2. sabo郎さん、そうですか、武士の家計簿に大混乱と記されていたのですね。それだけ、一大社会変革でもあったようですね。太陽暦との一番の誤りは七夕だと思います。今の7月初めは梅雨で、彦星と織姫が澄み通った夜空で出会い事は稀で、旧暦の7月7日を新暦で言うとだいたい1カ月以上ずれて8月15日位になる。そうすれば真夏で夜空も期待できる訳ですから。あとは、新年の挨拶で新春をお喜び申し上げますなんて、何で寒い最中に言うのかという事も、旧暦の正月は、新暦の2月中旬前ですから、そろそろ季節代りを期待しての挨拶なのでしょうね。

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