アメリカという有機体・社会はなんでもテスト(試験)する文化である。
それは訓練を受けたものがどの位の点数を取ったのか、知りたがる社会である。
その裏には、訓練する手法が科学的で、結果を評価する方法が客観的で、誰にでも受け入れられる公平なものでなければならないという哲学がある。
したがって、人々は科学的訓練や客観的評価方法の研究をとことん突き詰める。
こんな哲学や行動が強いアメリカを維持していると考えた。
引用・参考資料:
上記の資料を読んで、直観的な感想を記した。細かな訳でもなく、説明でもない事を断っておきます。
インストラクショナルデザインは、単なる教育の手法ではなく、教え方の適正化であり客観化なのだと思いました。「師」が必要なことも事実とは思いますが、そこ必要以上の人格や尊厳を認めるのではなく、手法の巧さ、学習の効果測定を評価するような動きが教育委員会や現場の教員に求めなければならない時代に入っているのだと思います。
saborouさん、もともと参考にした資料では1日に異なった7科目を教えなければならないK-12,義務教育の現場の先生が遭遇しているカリキュラムをデザインする事がIDに影響を与えているとしています。
テストの結果としてのポイントは生徒を評価するよりも、教師が本当に未経験、無知識の生徒をいかにして理解出来るように育て上げたかという観点で議論されなければなりません。ご指摘の通り、学習の効果測定を評価する動きは絶対に必要です。
あいまいな教え方、あいまいな試験、それで得られたスコアーなどで短絡的に受講者を評価してしまうと最悪な結果をもたらします。
最近の就活などもその様な例と思っています。企業ですから独自の採用基準があってもいいのですが、あいまいな人事基準、あいまいな採用試験で就社した新人は短期で離職して行く実態は、IDに通じると思います。