年末で重い腰でも上げた訳ではないが、ジャンク部屋の机の周りの書類、資料を整理していたら忘れていた1枚の地図が出て来た。この古地図は私が気に入っているもので、徳川氏が江戸へ移って来た以前の古地図で標題のように名付けられている。
これは記憶が定かでないが、ある古本を購入した時にページに挟んであったものである。江戸時代以前の永禄年間の江戸周辺のもので、居城は徳川氏でなく、大田氏とある。ただ古いものという訳で私が気に入っているのではなく、徳川氏以前の江戸の地は土木工事がされておらず、浅瀬、湿地が相当奥まで入り込んでいる様子が窺えるので、気に入っているのである。さらに海の入り江が奥まで入り込んでいるということは、人馬の移動可能な、鎌倉街道、古代の道の面影を残していると思われる街道が小さな村々を結んだ線で、かなり山の手側にこの永禄の地図に示されているのである。
それは、ざっと言うと今の明治通り周辺を、南品川、北品川、三田村、大根ムラ、上渋谷、千駄谷、山中ムラ、冨塚ムラ、落合、僧司谷村、板バシ、王子ムラ、瀧川ムラ、原塚、石濱、須田ムラ、木下川と連ねられている。
綺麗にサイトにまとめた方がいる。その方の地名は現在名称で表記されている。
http://www.mars.dti.ne.jp/~opaku/hakken/02/xmps_choroku.html
河川についてみると、江戸時代の運河、人工河川建設工事以前の目黒川、渋谷川、神田川、石神井川がはっきりと示されていて、市谷ムラ、小日向ムラ辺りまで入り江が入り込み、現地名でも、市谷船河原町、小日向手前の伝通院前の安藤坂(網干坂、漁の網を干した)など、水、海に関わる名称が見受けられる。
そこまで入り江が入り込んでいるということは、洪水や津波を避ける為に、古代から人が安全と住処を構えたであろう土地は、当然標高の高い処(神社仏閣は20メートル以上に多い)にあるはずである。2011年の311の東日本大震災、大津波の教訓からも、昔からの言い伝えは意味のあったことで、裏を返せば、今まで使えなかった土地を無理して開墾し、自然に反旗を翻していた事を、我々は忘れてしまっていたのである。