2010年4月下旬のある学会での公開議論。
理学部はサイエンスで、工学部が技術、テクノロジーだと。
さらに話が進んで、理学は人類共通の現象の解明などで世界の全ての人間に貢献すべきものだから、グローバルなものだと説く。技術は企業のビジネス・事業を拡大し、利潤を追求し、他国と競争するので、国境の存在を認めるインターナショナルなものだと説く。
確かに、一国に縛られ、企業が法人としてその縛られた国へ納税することを考えると、さも有りなんと肯きそうになるか、素直には納得出来なかった。
その学会の議論は主に大学の先生方であって、企業人も参加はしていたが、声が大きいのは大学側、司会者も大学側、企業側は比較的若い方で、司会者に振られないと弁が進まない。
サイエンスとテクノロジーの議論と、グローバルとインターナショナルの議論を同一の舞台ですることは、ちょっと飛躍し過ぎているように思う。英語の言葉としてのglobal とinternationalについて辞書で意味を調べる程度の事では簡単に解決できるものとは思えない。globalは球体の地球全般に関わること、internationalは2国間または複数の国家が関与することと辞書は言及しているだけに過ぎない。
私個人的には、internationalを日本語の国際という語句に惑わされ、拡大解釈していたような気がする。日本人は日本が島国なので、国際を海外と同一解釈をしてしまい、海外は地球上の島国である日本を除いた“全ての”他国を包含するとして受け入れて来たような気がする。
さすると、我々日本人には、“グローバル”と海外と国際という3つの語句をクールに使い分けないと“全地球的人“に登りつめられないのかもしれない。
サイエンスに絡む知的財産権(知財)の話をすると、特許申請前に公知事例としての何らかの証を残しておき、それでわざわざ特許出願をする。そうすると、公知事例があるので、拒否される証が残る。それで、正式に類似案件を誰かが特許申請しても、公知事例があると理由で、全てが拒否される。こうやって、サイエンスが人類全ての共有財産だという意識形成がされればいいのだが、そうも、簡単には世論形成や法整備も進まないであろう。
技術、テクノロジーに絡む知財は、現行通りの自国・海外国への出願申請、国際特許などの知財認識そのまま受け入れる他にはないと私の意見は留めておく。
(追記):2010年のノーベル賞受賞の根岸氏は、受賞者発表会場のストックホルムからの電話インタビューで、クロスカップリングについては特許を取得しなかったと明かした。根岸氏は「特許を取得しなければ、我々の成果を誰でも気軽に使えるからと考え、半ば意識的にした」と述べている。
(追記)平成23年9月10日に米国特許先願制移行に関するオバマ大統領声明についてブログに記す。