多様性からの離脱

日本人に活力が衰えていると指摘され久しい。ゆとり教育方針も本来の趣旨がよく理解されずに、ただ、学習時間だけが削減されて、総合教育なども何が総合的なのかよく分らないうちに年月が経ってしまい現在の深刻な状況まで来てしまった。xx国際テストでの日本の子供たちの成績順位などもゆとり教育のせいなのか、よく分らないが急低下していることは事実である。

大学の入試でもAO入試とか、推薦入試とかで入学した学生と一般入試で入学した学生の差が大きく、AO入試とか、推薦入試で入学してきた学生に対して入学後補習みたいなことをしている大学も多いと聞いている。

一見上のことは、社会の仕組みに多様性を持たせたて、本来ならば別のいい結果を期待したものの様であるが、イノベーションや多様性は社会に活力をつけると信じられてきた向きと反対の結果になってしまった。実際はその活用の仕方や、運用のし方で、イノベーションや多様性は開花すると思う。

最近、街のあちこちや家庭の高解像度DVDブルーレコーダなどに、可視光では以前からあった赤に加え、オレンジ、緑、青色のLEDが溢れ出してきている。高解像度DVDブルーレコーダなどは装置内部にLEDよりもっと高精度なレーザが組み込まれ、色そのものは目にすることは出来ないが、半導体から発せられる波長スペクトルが極めて狭い理想的な光で、高密度で情報を記録可能にしている。

それに比べて、照明や飾りに使われているLED(発光ダイオード)は1つ数十円くらいで買える安価なもので、店のショーウィンドーやあちこちに飾りとして沢山使われている。

最近(クリスマス時期、公の広場や通りでミレニアムと称したり、家庭での派手派手のデコレーション)、それらの光を見て気がついたのだが、皆さんは綺麗だと言っているようだが、私には何か冷たく、きつく、眼には痛いような感じがしてならない。所謂、“どぎつい“のである。

技術的にいえば、ごまかした白色LEDなどもあり、赤色の成分が無く、希土類酸化物で蛍光発光して合成したものが主流で、本来の曖昧な、多くの色成分を含んだ白色でない。RGBという赤、緑、青の色の三原色からなる本当の白色LEDも最近開発されているが、これとても、3つの色の鋭いスペクトルを合成して白色にしており、本来の曖昧な、多くの色成分を含んだ白色でない。

この、本来の曖昧な多くの色成分を含んだ白色を多様性というならば、人工照明の白は極めて特定な色の組み合わせに過ぎない。本当に2-3の色スペクトルの合成に過ぎない。オレンジLEDはまだ許せるが、とことん青いLEDやごまかしの白色LEDは眼に優しくない。それらの青が点々と繋がって、その間に白がちりばめられ、時にはオレンジが、時には赤色LEDとても、目の前に立ちはだかっている暗いカーテンは無味乾燥のままだ。

技術的にはこういった新しい光源を開発することは、多様な発想や材料構想、開発実験計画ということが必要だが、いったん出来上がった成果・所産はとことん極めた色になってしまった。多様性からちょっと離脱してしまった、眼にとっては安らぎが得られなさそうな状態である。

考えると、ゆとり教育は“時間のゆとり”でなく、“思考・意識のゆとり”のことであって、何もしないのではなく、あらゆる状態、状況でも対応できる広くて深みのある思考・意識を育てるゆとりのことではないか。

極めて特定な幾つかの仕組みをごまかして組み合わせて、多様と称しても、所詮色の如く、ごまかしの白色しか出来ない。ちょっと見ると白いが、注視したり、長い時間見ていると視神経が心地悪いと正直に反応してくれる。視神経、いや、脳や心がそのように反応しているのである。

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