蕎麦猪口

よく暗黙知を形式知化して、伝統技能などを継承、残していかなければならないと叫ばれている。地盤沈下しつつある現代のもの作り日本を憂えてである。今、暗黙知がなんぞや、形式知がなんぞやという議論はとりあえず避けておいて、暗黙知は、もの作りが上手い年配の職人さんが設計図や紙に書き留めた仕様書など無くとも皆さんが吃驚(びっくり)するような作品、細工物をこしらえてしまう、素晴らしい”力”と思って頂きたい。これに対して、形式知はハウツーものだとか、製品の製造仕様書とか、多くの人が納得している、いわゆる紙に書かれた知識・知恵などである。難しい特許の明細書も含まれると考えて頂きたい。

先日(平成21年年末)、大手有名TV局の番組で、江戸時代の蕎麦猪口の話をしていた。素晴らしいデザイン、絵付け、その絵付け模様など時代時代の世相を反映していて、単なる食器としての器に留まらず、匠の技が上りつめた焼き物の作品として、紹介されていた。こんな話をすると、その焼物師の技を、いかにも形式知化する例として、ぴったりだという話になってしまいそうだが、私の視線、興味は、蕎麦はこの猪口に注がれた汁に蕎麦を浸けて、ずるずると音を立てて一気に喉越しを通り越すように、呑み込んで食べるのが最高だよという、西洋流では音を立てて食するなどマナー違反だと言われても、独自の日本の楽しみ方があるという点に行ってしまった。

番組は、いかに焼き物としての猪口の芸術性を説きたかったのかもしれない。蕎麦の食べ方と似て、またある番組では、最近の若い人がラーメンの麺をずるずると一気に飲み込めない話をしていた。いちいち細かく麺を切って、蓮華(れんげ)にのせて少しずつ食べる様になって来ていて、食のスタイルが変わってしまったという。何故、和蕎麦やラーメンを一気にずるずると素早く食するかというと、麺に絡んだ汁が落ちないように、麺と汁の両方を楽しむことにあるらしい。これが出来ない若者は、蓮華に麺とスープをのせて浸したまま味わう様だ。

正月を前に、やはり年末、今や現役を退いた、有名なサッカー選手が話していた。日本人は可笑しい”民族”だねという表現で、俺はあの柔かいお餅が食べられないのだと話していた。やはり、お餅は食べたかったらしいが、柔かいお餅を食べやすく、小さく千切っても、独特な触感が邪魔をして柔かい餅が喉を通らないそうだ。恐らく育った食文化が違うので、大人になって日本へ来て、プレーをして、国籍まで取って、上手い日本語をしゃべりまくっても、柔かい餅を飲み込む”日本人”には到達出来ていない話として受け取った。

さて、暗黙知を蒸し返すと、先ほど「もの作りが上手い年配の職人さんが設計図や紙に書き留めた仕様書など無くとも皆さんが吃驚するような作品、細工物をこしらえてしまう、素晴らしい”力”」と仮の話をしたが、美味しい汁が猪口に注がれ、これに箸で摘まんだ蕎麦の端をちょっと湿らせ、少し開いた口で一気にずるずると啜って味わう蕎麦の食べ方が出来ない若い人にとって、蕎麦の食べ方は暗黙知であって、こう紙に書き留め、形式知化して説明することで、果たして簡単に蕎麦が啜れるのだろうか。お餅を飲み込めないブラジル生まれのサッカー選手に、柔かいお餅の食べ方は、ここの”和食の食べ方ノウハウ”本をお読み頂ければ、食べれるようになるのだろうか。こんな若い人向け、外国生まれの方向けの”和食の食べ方ノウハウ”本は未だないと思う。50を超えた私など思い出しても、小さい時いちいち蕎麦の食べ方、ラーメンの食べ方など大人に説明を受けたこともなく、実際受ける必要もなく、親の食べ方を見て、同じように蕎麦を啜る、餅も飲み込んできた。だからと言って、これが暗黙知だとも認識はしていなかった。

私が小さい頃に暗黙知という無愛想な語彙は無かったと思う。サバンナや森にいる動物の物の食べ方を見ていると、いつ敵に襲われるか、いつ食い物にありつけるか、食うことは相当なストレスをはねのけた状況下であることは間違いなく、優雅に何十回も噛んで食べてはなく、噛み千切ったものを一気に飲み込んでいるような状況である。これは無意識の行為、行動に類されるもので、脳学者が講釈をたれる大脳のどこそこの部位ではxx覚野が活性になっていて、作用しているのが解りますとか言われても、なんの意味もなく、動物と同じく、人が長年進化してきた過程でも残されている無意識の動物的行動力と思っている。これを、さらに無意識をつかさどる脳幹の働きだと説明されても、蕎麦を啜れる人、ラーメンを啜れない人、両タイプの人にとってもなんの意味も持たない。蕎麦を啜っている時に脳幹などでいちいち考えているはずもない。

実は、蕎麦猪口の話が続いていて、蕎麦汁を蕎麦に漬ける際には、猪口の内側が良く見える。先人たちは、猪口の外側の絵付けもさることながら、内側の絵付けに全力を注いだそうで、図柄の分類や図柄の楽しみ方が番組で紹介されていた。この食器としての器の内側や内側の底に絵付け、特別な図柄を加工することは良く行われている。私が好きな江戸切子でも、ガラス製のお酒用猪口でも、意図して職人さんが内側から覗ける際のデザインを外側に施し、いつも買求めるお店の方から、これはxx柄、それはxx柄と教えて頂いたことがあった。確かに、切子の猪口の底にも綺麗なシンメトリーの図柄を見ることが出来る。焼き物は外から眺めていると内側に潜んでいる作家の意図は分らないが、ガラスは透けており、カットは外側に施してあるのだが、プリズムの様な効果も加わり、実際内側から覗かないと作家の意図が分らないようだ。

それにしても、蕎麦を一気に啜って音を立てて食べる事が暗黙知で、それを形式知化することなど全然必要でないことだと思う。いっそのこと、蕎麦を一気に啜って出来るだけ大きな音を立てて食べるコンテストでもしたら、若者がたちまち寄って来るかもしれない。

平成22年1月9日早朝、5月18日早朝改版