平成19年7月13日金曜日、夕方、用事があってJR浅草橋駅から蔵前方面へ向かって歩いていた。以前、歩いていた時は大通り(所謂国道6号線にあたる)の右側を歩いていて、隅田川沿いのある区画が母校の前身東京職工学校が蔵前に設立されたところだと知った。近くの榊神社に何々云々と書かれた碑がある。母校はその後大正時代の関東大地震で壊滅して、今の目黒区大岡山へ移ったそうだ。
その日は偶然、何も意図せずに、通りの左側を歩いた。程よく進むと、信号がある交差点があった。目の前は蔵前橋通りで右手に行くと蔵前橋だ。信号待ちをしている間に、夕方でこれから台風(4号)が到来している薄暗くなってきた最中に、なにやら掲示板が立っているのを遠くから発見した。こんな大それた言葉を使わずに、遠くから見えたというのは本当である。しかし、私にとっては、これから書こうとしている出来事に対しては大発見だったのである。東京にいて、東京タワーに登った事が無い人が多いのと同じで、登って展望台に立ち何も発見せずに降りてきてしまった人達へは、たたご苦労様と言いたい逆の気持ちである。
掲示板の正しい説明書きは、区が設立したものなので、どこかにされているとして、以下私の文でお話したい。
浅草天文台があったそうだ。
新宿牛込より西暦1782年(天明2年)に移転してきたそうだ。
正確な暦を作るための幕府の天文方という御用、役所である。
蔵前、浅草橋と聞くと近在には鳥越という古くから有名な場所があり、
そこには小高い丘があって、その丘をつぶして土砂を隅田川沿いに埋め立て、
さらに整地して、小高い築山を作ったそうだ。
其の大きさは、高さ9.3メートル、周囲96メートル(1辺24メートル)。
其の築山の上に、5.5メートル四方の天文台が作られた。
其の姿は葛飾北斎の鳥越の不二に描かれているという。
私の驚きは、50余才から日本の大地図を造り始めた伊能忠敬が、天文方の役人、
高橋至時の弟子としていて、当時正確に緯度を求めようとしていたと
掲示板に書かれていたのである。伊能忠敬の起源を見つけた気分になった。
(注)新宿牛込(現在の新宿区袋町の日本出版クラブのあるところ)
さらに、1800年代に入り、天文台、天文方に蕃書和解御用(蕃書―外国の言葉を、和に解す、日本語へ翻訳する役所)が設立されたとも書かれている。その後、洋学所、開成学校、大学開校と変遷し、明治になって時の東京大学へ移って行ったそうだ。学問の起源は、そうすると天文台となる。
残念なのは、明治維新後、明治政府により、江戸幕府の御用、天文方(幕末には2台目の天文台が、今の九段坂上(武道館や靖国神社の鳥居の近く)に作られたが)、は廃止されてしまったという。
以上が、掲示板の概略と私の気持ちである。
こう見ると、江戸時代には今の日本の礎がいろいろと見えてくる。
かなり大掛かりに土木工事もやったようだ。今は無き、神田佐久間町(神田川が流れている)から岩本町に辺りにあった、お玉が池も埋められてしまった。今は不忍池だけが残っている。御茶ノ水駿河台の丘も切り崩され、埋め立てに使われたそうだ。今の八重洲や神田の下の平らな土地はこうして作られたようだ。其の一つに、神田からは遠くなってしまうので、近くの鳥越の丘を崩して、其の浅草天文台の築山に変わったのである。
浅草天文台から、伊能忠敬が旅立ち、測量技術を駆使して大地図が作られ、その後欧米人が日本へ来て伊能の地図を見て、其の正確さに驚嘆したという。測量には高度な幾何(三角)計算が必要である。
また、蕃書を解して、日本の大学が形成される礎にもなった。当時和算が廃れていたか定かでないが、伊能のように、日本独自の学問が継承されて、世界に通ずるものに発展していって欲しかったとも思う。和算は新教育制度で、明治政府によって廃されたことは残念であるが、当時の社会に受け入れられなかった理由もあったのだろうとも思った。もともと、新宿牛込にあったものが浅草蔵前へ移ったのだが、そこは今の神楽坂を登って登りつめ、左手に曲がって界隈で一番小高く眺めの良い所で、私も知っている。考えると、現在の日本出版クラブがあり、やはり、そこ辺りが蕃書を解する意思の起源になっているのかとも思った。
日本の学問の始めは、天文台からと前に書いたが、天文や地理学が発展し、明治後期には東京大学で地震研究も始まり、夏目漱石の教え子、寺田寅彦がそこの教授になっている。
今や、地震大国の日本は地震観測、予知、さら津波研究で世界のトップを走っている。
超高感度の地震計が海底に設置され、それが海底光ファイバーケーブルで繋がって地上にまで其の信号を伝えてきている。一つ二つだけではない。ネットワークになっている。最近ではP波情報をいち早く察知して、其の情報を大きな揺れをもたらす横波が到来する直前(数十秒、いや数秒前でも価値はある)に周知させるシステムが動き出している。例えば、10秒前でも大きな地震が来ると分かれば、新幹線などを減速、ストップさせるのである。
灯台下暗しとはよく言われるが、一旦足元が明るくなって、その後の顛末を書いたものはあまり見かけた事がない。このP波情報システムであるが、10秒前だとこれしか出来ない、20秒あるとこんな事出来る、30秒あるとここまで万全に出来ると寺田寅彦の気持ちを代弁できそうである。これは直下型地震を除けば正しいことで、先日仕事で訪れた大手町の東京消防庁などは大都心東京を守るために、防災部、予防部などの組織があり、防災は一旦災害が起きてしまっても、どのくらい被害を食い止められるかと検討していることで、”予防”は事前予知などを含んだ災害前にどんな仕組みを作っておくべきかを研究している。いずれにせよ、昔の胸騒ぎ、虫の知らせだけでは、万が一の時の、大都市東京の災害を防ぐことは出来ない。
虫の知らせを聞いた一人だけが、コソコソと、新幹線で東京を脱出して西へ向かい逃げたつもりでも、しばらくして東海地区辺りで其の新幹線を倒壊させるくらいの大地震が起き、遭遇してしまう馬鹿な話にもなりかねない。虫の知らせはどっちの方向までは教えてくれないと思う。