最近思うこと 人工知能 AI(Artificial Intelligence)

AIの一人歩きが目立つ。AIはあたかも万能がごとく崇拝の的となっている。ちょっと知っているエンジニアは特定型AIと汎用型AIがあって、それらがどのように区別されているかは理解しているはずである。その先は人工知能の中身の仕組みや、どのようなデータを必要とするか、出来るだけ速く演算させるための半導体チップ開発などがあるが、普通に暮らす人達には難解すぎるので、ここでは深入りしない。

wiki; 特定型AI, 汎用型AI

よく考えると、もはや答えや結果を出すプロセスは人が追いつかないという。しかし、出て来た答え(本当は複数ある中の、ただアドバイスとして参考にすべき程度のものかもしれない)を信奉し、どんどん進んでしまう。例としてAIが出て来たら無くなってしまう職業、それで何万人が失職すると平気でいう。逆にAIが出てきても無くならない職、こんな技能を有する人材は大丈夫だという議論をしている。振り返るとなにもAIがなくとも歴史的に不要となった職、継続される職、また新たに必要となって、今流にいうとイノベーションで生まれる職もあった。産業革命でエネルギーやエレクトロニクス化が進み、更にIT化では産業の規模拡大で所得増大と雇用拡大が計られ、経済縮小へとはなっていない。

日本では少子高齢化で人手不足と騒いでいるが、本当はそうでないと私は見る。数字的には人材の適材適所が出来ていないことを原因とする非効率化、業務の効率化や分散化をすべきで、インセンティブとしては年功序列ではない経験度やサラリーのアップを検討すべきである。

2018年3月(就職活動が解禁):最近のネット記事で紹介されていたが、就職試験の面接のAI化が試みられたそうである。IBMのワトソン(言語、会話解析)が裏にあってソフトバンクの推進する人型ロボット、ペッパー君(カメラセンサーが取り付けられ学生のしぐさや表情がとらえられている)が面接官だそうで、先ず質問に学生が答えるとせっかちに次々と質問をしてくるそうで、その際の流れで、50-60件の質問で終わる学生、100件以上の質問をされたケースもあるそうで、その“面接”時間は1時間半にも及ぶこともあるという。結構ロボット面接官と対峙して疲労困憊だったそうである。面接のAI化で何が効率化して、何が良かったのか、何が課題として残ったのか分からないが、この程度では人事の面接官の一時的代役は出来ても人事の社員はまだ無くならない。

さて、AIも勝ち負けで結果が出るゲームの世界では様相が一変する。囲碁、将棋、チェスなどは先ずAIの方がxx級、x段の力量があると示され、それを人が打ちのめすと、俺は将棋が初段であるというような自慢話は、初期の頃の話でAIとは言わずに、コンピュータxxとかゲームのソフト化と言っていた。現在では将棋6段・中学生の藤井君が颯爽と出てきて、皆さんプロの棋士はAI将棋で勉強、研究しているそうで、藤井君の相手の棋士が打った手に対してAIはこうする、しかし藤井君は時には予想もしない手で攻めて来ることもあると解説されていた。プロを打ち負かすAIロボットをデビューさせることが目標となってしまった。本来ならは脳の中の思考回路とか無意識・意識的判断をなぜしたかというような分析解析的議論へ進んで欲しいところだが。

AIが出てきたら、こんな新しい事が出来る、今まで無かった新しい職が生まれるというポジティブな意識になった方が良く、無くなる職の心配をするネガティブな意識は捨てた方がいい。

付け足しだが、AI、人工知能の著書やブログを漁ると #ニーチェ まで来てしまう。AIが発達すると人は労働をしなくなる。ニーチェの” #超人 ”に対する” #末人 ”は以下こう書かれている。

ニーチェの末人:愛もあこがれも創造も知らず、健康に気を配り、労働も慰(なぐさ)みの程度に必要とし、平等で貧しくも富んでもおらず、わずらわしいことはすべて避ける。安楽を唯一の価値とする人間たち。ひょっとするとそういう人間たちが、人類の歴史が生み出す「最後の人間」なのかもしれない。

”無”について

新年度の初夢ではないが、平成29年、2017年の取り組みテーマは無の追求と以前のブログに述べた。

9月に入って今年も秋を迎えようとしている。時を見つけては”無”を先ず数学的に表示すること等考えてきた。それは単なる数学的数字や記号のみの表現にとどまらず、社会的事象、人の中の思考や意識の持ちようといった事象で関連付けるという試みである。

最近インドでzeroを意味する最初の文字を見出したというニュースがあった。それは紀元3世紀ごろのサンスクリット文字で、・点だという。

我々日本人、日本文化は漢字の世界で長い間、醸されてきたので、漢字から逃れられないが、無(む)の前に零(れい)などの文字も思い浮かぶが、漢語辞典などではもともと、極めて少ない、小さいという意味をもっており、いつしか零(0)とも代用してきたようだ。

さて、無は漢語辞典に依ると、由来は亡+森や木々で、木々が亡くなった状態を言うそうだ。そうすると、亡という意味も合わせて考えようという次第になった。人間の心理として”無や亡”は、目の前に具体的に存在するする物や事象を否定することで認知するようだ。(続く)

 

物々交換と信用意識改革

平成29年3月18日昼間、中央区常磐橋近くの日銀貨幣博物館(正式名、日本銀行金融研究所貨幣博物館)を見学する機会があった。

たかが種々の金属を用いた銭作りや紙に印刷した紙幣作りのまとめかと浅はかな思い込みは全くの的外れだった。

古代は口にできる食品や生活するのに必要な物資の方が価値が高く、物々交換の慣習に貨幣を如何に流通させるかの意識改革が必要だったことが分かった。その為に当時の国家や大手商人の裏打ちがされた(信用という無形の価値を相互に受け入れる)貨幣という位置づけだった。

古代の租税の支払いは物資であることが多かったが、重たい物資を奈良の都へ運ぶ、流通改革も貨幣の代替で行われており、手形の習慣も生まれてきた。

古代の日本では銅資源が限られており貴重で、銅銭が使われた。そのうちにもっと貴重な金銀が登場するが、それには深入りしない。粗悪品は鐚銭(びたせん)と言われ、この博物館の情報ではないが鉄で作られ銅銭の十分の1の価値だったという。

古代の日本は国内で銅資源開発を進めるより、中国から銅銭を輸入したほうが安上がりで、中世までそれらが流通した。輸入されたという事は他の特産品が日本から輸出されていったということで、国際貿易が発達した。

通貨の単位は銅銭の重さ、一貫とかが使われた。また、8世紀ごろでも融資(借金)制度があり、月利が15%で現在と比べると違法金貸しより、もっと高かったが、比較的短期間に返済されている記録が残っている。その後、禄高などがお米の量、石で基準化されて、貨幣の仮想的価値の受け入れには、それなりの年月が必要だったことを認識した。

見学した際には古くからの江戸の桜の花見のスポットが浮世絵で紹介されており、屈強な感じを和らげていた。予想以上に見学者(海外からのツアー客も含め)が多かったです。

https://www.imes.boj.or.jp/cm/

 

グリーンフラッシュ @Guam

陽が沈む時、最後の瞬間に緑色の光を放つという。

実際、2年前に訪れたグアム島で、タモン湾で夕日が沈む時に経験した。それを写真で示すとなるとなかなか難しい。自分の眼で見えたと確信しても、デジカメの画像データに自分の眼と連動して、記録されたかは定かでない。

現場の体験では太陽の球体の頭がまさに海面へ隠れようとする数秒間で緑が放たれた。生憎人の眼や感光剤では緑色でも時間が長かったり、強度が蓄積すると白化してしまう。

撮った写真を紹介するが、緑なんて見えないと言われれば反逆は出来ないが、眼で見た時は最後の円弧の一部が海面と接する辺りから放たれた。上の空と接している部分ではなかった。

貴重な経験であった。

拡大調整

拡大調整

green flash

green flash

道後温泉と最新掘削技術

松山の道後温泉、古くは万葉集にも熟田津の、、、とうたわれていることもご存じで、最近改修の工事で話題となっている。

平成29年2月12日朝、NHKのおはよう日本の番組を観ていたところ、おやっとするというより日本の先端技術は温泉掘削にありという驚愕の事実を知った。

結論を先に説明すると塩田岩治氏が昭和21年(西暦1946年)の南海大地震で枯れてしまった道後温泉の泉源を深く掘れる当時貴重だったダイヤモンドを取り付けたドリルと斜めに掘削する技術を応用して新たな泉源を見つけたという話である。(参照を文末に示す)

地球上の石油資源が枯渇すると言うながら、次々と埋蔵田がみつかり、バレル当りの価格も100ドルを越えて、掘削経費にも巨大な投資が行われている。最先端の石油掘削技術を有するGEの様なグローバル企業はもちろん、最新のダイヤモンド掘削ドリル、高温度や歪をセンシング出来る光ファイバーが挿入されているパイプケーブルを使い、既に塩田氏が試みた斜め掘りや深部に行ってから水平掘りを行っている。

なぜこのようなことまでして(技術開発と巨大投資)、化石燃料である液体上の原油や気体状の天然ガスを確保したいのかというと、中東でなく北米の地下深くにシェールガスという資源があることが分かり、そのためにパワーバランスというか米国が石油資源国というポジションを得るために推し進めてきた。私は若干このシェールガス掘削前にコンサルで関連の仕事をしたことがあったのでなおさらであった。

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道後には、お湯不足の危機を救おうとした男の物語もあります。
昭和21年に起きた昭和南海地震。
四国各地に甚大な被害をもたらしました。
このとき、温泉のお湯が一時止まってしまいます。
その後も道後は何度もお湯不足にさらされてきました。
そんな中、1人の男が立ち上がります。
塩田岩治、日本の地下資源開発のパイオニアです。
道後の固い岩盤に阻まれ、誰もが掘削を諦める中、ただ一人、新たな源泉探しに乗り出したのです。
すでに増湯の望みなしと言われたことなど、直接聞くに及んで大いに動かされるところがあった。
塩田は、固い岩盤を掘るため、独自に掘削力の強い新型ドリルを開発。
刃には、当時国内で珍しかったダイヤモンドをふんだんに使いました。
さらに、画期的な手法も編み出しました。
通常、地面に対して垂直に入れるドリル。
これを斜めにすることで、一度の掘削で水脈を掘り当てられる確率を高めたのです。
1年後、新たな源泉の掘削に成功。
危機に陥っていた湯量は、3倍にまで増加しました。
生前の塩田を知るめいの佐藤洋子さんと夫の光雄さんです。
塩田は、掘削のためには私財を投げ打つこともいとわなかったといいます。

(NHK おはよう日本より)

NHKニュース おはよう日本 2017.02.12

 

シェールガス開発に関する参照

http://www.jogmec.go.jp/library/recommend_library_01_000014.html

 

 

雑感

既に平成も29年に入り、天皇ご退位意向で平成もあと数年らしい。

さて平成28年の新年目標は汎用AI、 artificial intelligence の動向を深めるべく、更に勉学に励みたいという気持ちを設定した。AIの海外での取り組みは素早い、遅れて国内の動静はどのようになっているのか、1年かけで資料をまとめたが、そう簡単ではないことが分かった。産学協同のプロジェクトもようやく立ち上がった。

今年、平成29年の目標は”無”を理解しようと設定した。

事のはじまりは、昨年実は実母(86歳)の旅立ちを見送ったところ、相次いで母の兄弟、姉、弟、私の叔母、叔父が後を追うように2-3か月おきに他界した。普段お聞きする機会がない、和尚さんの講話を聴いたのがきっかけとなった。

普通、神社やお寺に行くとさい銭の代わりに願掛けをするが、ある和尚が願わず無心に祈ることが道だというような話をされた。

数学的”無”も表現、理解は難しい。まして心の”無”とは何ぞやとなったわけである。(続く)

 

今年2016年は夏目漱石没後100周年

平成28年5月7日、連休も終わろうとしている今日であるが、何気なく収納棚の奥に押し込まれている資料を取り出すと、これが以前青空文庫からプリントした寺田寅彦が記した“夏目漱石先生の追憶”だった。偶然であった。

文は長くもなく読み返すと、この追憶は寅彦が昭和7年12月に著したものであることが分かる。それはちょうど漱石が没してから16年後の事であった。今年から下がると84年も前のことになる。若い時に慕っていた師の没後16年になってから、著した追憶ということになる。おりしも、漱石が五高に英語の教師として松山から赴任してきた熊本である。先月震災にあい未だ余震がついているのも何かの縁と思うが、後年地震学者となった寺田寅彦が生徒としていて、熊本白川(藤崎神社近く)の漱石宅を訪れるところからこの追憶が始まっている。漱石夫妻は引越し好きで、この寅彦がある理由で伺うことになった家は五番目の内坪井の家に当たるそうである。

正岡子規、俳句の話や漱石の作品に登場してくる役が漱石の周辺でいる知り合いであるという話題は別にして、再読して是非ご紹介したいことを示す。

寅彦は、漱石先生が“文学の科学的研究方法”という大きなテーマを持っていたと想像していること、

寅彦は、漱石先生から、“自然の美しさを自分自身の目で発見する事、人間の心の中で真なるものと偽なるものとを見分け、真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事”を教えられたとある。

記念展示会なども企画されている。ご参考までに。

http://www.kanabun.or.jp/exhibition/4344/

 

強みの定量化

バックアップ用の古いフォルダーの中に13年前に作成した資料を見つけた。当時某省庁の私的勉強会向けに作成したものだった。簡単にいうと日本経済の強み、企業の強み、団体の強み、ひいては個人個人の強みを一気に定量化できないか、定量化しようという気持ちだった。

先ず、強みの要素を3つ取り上げ、これらを軸として定量化し様とする流れで資料を作った(当時)。(創る)ビジョンの数、行動の早さ、それから継続性の3つの要素を3軸として、可視化できるようなものだった。

今では、innovation, speed, sustainability という英語表記の方が受け入れやすそうだ。注意点としては結果として強くなった状況と”強み”は異なったもので分ける必要があることだ。また、強みとなりそうな背景、環境等のお国性、民族性、文化は2次的要因として考え、これらの環境要因は常に変動し固定的なものではないことを指摘していた。

本意は当時、日本の諸問題・課題を解決するための科学技術政策を考えて行こうとするものであった。現在でも課題は変わらないが、2次的要因(財政状況、少子高齢化、所得が成長していないなど)は大きく変動していることに留意しなければいけない。そのような資料の中で、自分では忘れていたが米国半導体大手企業の経営者が以下のようなコメントをされていたのを引用していた。

“I am constantly challenged to match with the best of Japanese competitors and the best of customers.” by Intel Executive Manager. (2013 July 30、NHK 3ch)

”日本で、最良のお客様と最良の競争相手に恵まれて、常に期待に応えられるよう挑戦して来た。”という意味合いだが、これはベンチマーキングや顧客の大切さを示している。

今後も改訂版強みの定量化に取り組んでいきたい。

 

吉田長次郎氏との再会

もう1か年が過ぎてしまって、HPにアップする時期をなぜだか逸してしまっていた下記の話をご紹介したい。

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平成26年8月月末、自宅に突然のお電話頂いた。
お宅様のHPを拝見しました。
<あのー>、失礼ですが、吉田長次郎の娘です。
家族でも、寺田寅彦と父親が何か親交があったとは知っていますが、
詳しいことは分かりませんでした。父は約40年前に亡くなっています。
最近、ネットで検索したところ私(egami)のHPに書かれているのを見て、
ご家族も吃驚したというような内容でした。

吉田長次郎氏は寺田寅彦の随筆には無く、没後まとめられた書簡集に何か所か
お名前が出てくる程度の氏であると理解していた。詳しくは私のアーカイブを参考にして頂きたい。

http://e-bbb333.com/tripleB/archives/766

http://e-bbb333.com/tripleB/archives/495

なぜ私が長次郎氏に興味を持ったのかは、寅彦が昭和10年、年の瀬が迫った12月に病死するのであるが、
病床にいても、さらに代筆を頼んでまでもして、最期の手紙を送った受け取り主だったからである。
それは、病死した昭和10年の3月ごろに、長次郎氏が寅彦へ(正岡)子規30年記念号を贈った、返礼の
手紙であった。

私も電話先の娘さんへHPに書いた内容も見もせずに、頭の中に焼き付けられてる
これこれ、云々の理由、背景を話させて頂いた。
ふと考えると、家族が知っている親の世界と家族が知らない親の世界があって、
家族が知らない世界が現代の魔法のツール、インターネットのHP,ブログで
父親の死後40年を経て知ったという稀有なストーリになってしまった。

娘さん、西山展子さん(81歳)がまとめられた冊子・楽天に詳しく長次郎氏の生き様が
まとめられているが、これらは私がこれまで知らなかった一市民、長次郎氏の一生であった。
人は生を受けたからには、普通両親の出身地や親の仕事の関係でどこそこに
住み始め、そこが人生のスタートとなる。

長次郎氏も四国の多度津で命を受け、母親方の出身が松山で、松山が生活の基盤となったようだ。
長次郎氏は東京帝大を卒業し、文学、美術・絵画を得意とし、松山の学校で
教師を勤めたそうである。時代も時代、そんな環境で、夏目漱石の教え子の寺田寅彦、
若くして没した正岡子規の俳句を通して、人が人を誘い、切磋琢磨していたことが分かる。
残念かな、漱石の俳句、寅彦の俳句はそれほどでもなかった様だ。
吉田長次郎氏は、ホトトギスの会員で、吉田橙子(とうこ)と名乗って
俳句など文学活動をしていたそうである。

西山様の冊子・楽天には、父親長次郎氏が旧制高校の後に愛媛大となり、愛媛大で教鞭をとっている
最中に、西山様も学生として愛媛大に学び、学友の先生が長次郎氏であり、また自分の父親である
板挟みの環境にご苦労された事も書かれている。

長次郎氏は、退官後は東京に居を移し、暮らして、今から40年ほど前に80歳で旅立たれ、
正岡子規の倍以上、50台後半で去った寅彦、49才で去った漱石より充実した
人生を送られたに違いないと信じている。娘さんが、きちんと冊子・楽天を残されているからである。

最近話題の村岡花子も、子・孫が親・祖母を振り返り、親が生きた時代よりも、
死して現代に知らせしめた様なもので、私も村岡花子は知らなかった。

親が死して、その後、親の人智の及ばないで世界で子が親の生きざまをまとめ上げる。
そんな境遇には私は決してならないとは思うが、長次郎氏の娘さん、西山展子さんは
それを実行している。その努力に敬服したい。晩年の長次郎氏のお写真も頂きました。

合掌